『坂の上の雲』(さかのうえのくも)は、2009年11月29日から2011年12月25日まで足掛け3年にわたってNHKで放送されたテレビドラマの特別番組。主演は本木雅弘。
原作は司馬遼太郎の同名小説。3部構成、全13回。本作はNHKが2009年度から3年間の中期経営計画として製作する大型プロジェクト「プロジェクトJAPAN」の一環と位置づけられている。第1部全5回は2009年11月から12月に大河ドラマと同じ20:00から、第2部及び3部のそれぞれ全4回は2010年・2011年12月の19:30から放送された。この3年間に放送されていた大河3作品(天地人・龍馬伝・江)は、全て11月中に終了となった。大河ドラマは通常1回45分であるが、当作品は1回90分で制作されている。制作費も大河ドラマを上回るケタ違いの規模であるとしている。出演者は、主演の本木雅弘をはじめ、阿部寛、香川照之、菅野美穂、石原さとみ、松たか子など若手~中堅の実力派から多数起用。また、ベテラン勢からは渡哲也、高橋英樹、加藤剛、西田敏行、石坂浩二、江守徹、舘ひろし、伊東四朗、柄本明、竹下景子、竹中直人、渡辺謙(語り)など日本を代表する役者たちが起用された。過去の大河ドラマで主演をした役者も多く出演している。
全13回の平均視聴率は14.5%、最高視聴率は第二回の19.6%(関東地区・ビデオリサーチ社調べ)。
2012年に第38回放送文化基金賞番組部門(テレビドラマ番組)本賞を受賞。また、「スペシャルドラマ「坂の上の雲」の制作手法を支えた技術開発と運用」として2010年に放送文化基金賞個人・グループ部門(放送技術分野)を受賞(受賞者代表:宮路信広)。
司馬遼太郎には連載中から「本作を映像化させてほしい」とのオファーが殺到していたという。しかし「戦争賛美と誤解される、作品のスケールを描ききれない」として司馬は許可しなかった。当時、NHKもオファーを行っていたが2週間考えた末の司馬の結論は「やっぱり無理やで」だったという。
司馬の死後、NHKの「総力を挙げて取り組みたい」との熱意と映像技術の発展により、作品のニュアンスを正しく理解できる映像化が可能となったとして1999年に司馬遼太郎記念財団が映像化を許諾。その後、著作権を相続した福田みどり夫人の許諾を得て、2002年には志願したスタッフを中心に製作チームが結成された。
2003年1月、大河ドラマとは別枠の「21世紀スペシャル大河ドラマ」として2006年に放送する予定が発表された。しかし、2004年6月に脚本担当の野沢尚が自殺したことに加え、2005年1月には映像化を推進した海老沢勝二会長がNHKの不祥事などを理由に辞任。野沢は全話分の脚本の初稿を書き上げていたが、制作費が高額となることや受信料不払いが相次いだことなどから体制が再検討された。
脚本については製作スタッフが外部諮問委員会などの監修をもとに完成させ、全18回を1年かけて放送するという当初の予定を変更し、3部構成の全13回を2009年秋から足掛け3年で放送することが2007年1月に主要キャスト4人(本木、阿部、香川、菅野)とともに発表された。また当初冠にしていた「スペシャル大河ドラマ」は後に「大河」の文言を抜いて単に「スペシャルドラマ」という冠に変更された。
2007年11月に茨城県つくばみらい市でクランクイン。以後、日本各地のみならず日露戦争の舞台となった中国やロシア、アメリカ、イギリス等で3年に亘るロケが行われ、2010年9月21日に愛媛県今治沖にてクランクアップした。
日本が近代国家へと歩み始めた明治時代、伊予国(現在の愛媛県)・松山に3人の男がいた。後に連合艦隊参謀として日本海海戦の勝利に貢献する秋山真之、その兄で日本騎兵の父となる好古、俳句・短歌の中興の祖となった正岡子規。彼らはただ前のみを見つめ、明治と言う時代の坂を上ってゆく。
なお、第1部は2010年11月から12月に総合テレビ(ゴールデンタイム)およびBSハイビジョン(プライムタイム)で再放送された。
放送日は総合テレビでの本放送分のもの。
番組終了から3年が経過した2014年、全話をもう一度通してみたいとする視聴者からの反響が大きかったため、10月から2015年3月にかけて、1つのエピソードを前後編の2週に分け、合計26回に再編集したアンコール連続放送を毎週日曜日12:00 - 12:45にBSプレミアムで放送することになった。
メイキング・PR番組については省略。
教育テレビのデジタル放送ワンセグサービス“NHKワンセグ2”独自番組として、『大河ドラマダイジェスト』の枠(月曜 12:30-12:35、翌日 0:10-0:15)で放送。1時間半の内容を5分に要約。
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