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織田長利


織田長利


織田 長利(おだ ながとし)は、戦国時代の武将。織田信秀の十二男(十一男とも)でその末子。通称は又三郎あるいは又十郎。織田信長の末弟。生母は一説では岩室殿(信秀の最後の側室)とされる。すぐ上の兄に織田長益(有楽斎)がいる。津田姓を称していたため、津田 長利(つだ ながとし)と呼ばれることもある。

生涯

兄・織田信長の命で信忠の軍団に配属し、天正2年(1574年)7月の伊勢長島一向一揆討伐に参加し、長島の海上攻撃の一員を務めた(『信長記』)。

天正9年(1581年)2月、京都御馬揃えでは信長の御連枝衆として騎馬10騎を従えて行進した。

天正10年(1582年)6月2日、明智光秀が本能寺の変を起こして兄・信長を攻めた時、長利は信忠と共に二条新御所で明智軍に攻められ、戦死した。

家族

長利は子に利昌(宗助)と甥の信雄の側室になった娘がいる。利昌は信雄の下にあり、出家して随安と名乗った(『系図纂要』)。娘が信雄の側室になったため、未亡人となった長利の正室は信雄より庇護を受けて82貫文を与えられた。

脚注

注釈

出典

参考文献

史料
  • 『信長記』
  • 『系図纂要』
  • 『織田信雄分限帳』

Collection James Bond 007


Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 織田長利 by Wikipedia (Historical)


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