『友よ、静かに瞑れ』(ともよ、しずかにねむれ)は、北方謙三の小説、及びそれを原作とする日本映画。1989年にフジテレビで2時間半ドラマも作られている(『友よ静かに瞑れ』)。
1983年8月22日、角川書店より発売。
1985年6月15日、映画公開。角川映画。東映セントラルフィルム配給。藤竜也主演、監督は崔洋一。
併映は、渡辺典子主演『結婚案内ミステリー』。
医師の新藤剛(藤竜也)は、沖縄の多満里地区に東京からはるばるホテルフリーインの経営者である旧友の坂口(林隆三)を訪ねた。しかし地元の住民からはフリーインの場所を聞いただけで胡乱な目で見られ、フリーインの客というだけで嫌われる。しかも当の坂口は警察の留置場にいた。下山建設の社長下山(佐藤慶)が、刑事の徳田(室田日出男)らと共謀して、坂口を逮捕したのだ。坂口は下山建設による開発の進む多満里地区でたった一人で立ち退きに反対していた。寂れるばかりの多満里の将来を考え、地価が安い多満里地区を高い値段で買い取り、住民の移転先の面倒も見る温情のある会社として通っている下山建設だが、実際は多満里の住民たちも最初は立ち退きに反対しながらも、暴力や買収工作によって懐柔され、フリーインは村八分のような形に追い込まれていたのであった。そして下山はフリーインに対してもヤクザを使い、かつては多くの長期宿泊者で賑わっていたフリーインも、下山の嫌がらせで人が寄り付かなくなっていた。坂口の息子・竜太も下山一派の脅迫や同級生からのいじめを受けていた。新藤は多満里にいる間、残ったフリーインの宿泊客たちと共に下山たちの悪事を暴こうと画策するが、やがて町中をヤクザがうろつき始め、多満里の住民たちがフリーインに現れて新藤に多満里から去るよう忠告する。新藤は下山建設幹部の高畠(原田芳雄)と決闘の末、下山の机から徳田の金銭借用書を入手した。止むなく徳田は坂口を釈放し、ついに新藤と竜太は坂口と再会する。その時、目の前に下山の乗った車が現れた。多満里の住民たちと握手を交わしていた下山の前に立ち塞がった坂口は、不穏な空気を発して黙ったまま懐に手をいれる。恐怖に慄いた下山は拳銃を取り出し、引き金を引いた。竜太はその瞬間新藤の胸に顔を埋めるが、父親の死に様を見せるかのように、新藤は胸から竜太の顔を引きはがす。坂口は懐に手を入れたままその場に倒れる。坂口が握っていたのは一個のレモンだった。
新藤はそのレモンを拾い、坂口の死体の近くでじっと立つ竜太の手にレモンを握らせ、フリーインの宿泊費を精算してその場を後にする。新藤が去った後、竜太は父親の死体を見つめ、自分の好物でもないレモンをかじるのだった。
崔洋一監督は「前作『いつか誰かが殺される』は赤川次郎物という俺にとっては未知の世界だし、ましてやアイドル映画だった。監督することには、そういう楽しみと苦しみがあった。じゃ、今度は欣喜雀躍の企画とみんなは思うわけだ。しかし、実はこっちの方が苦しいんでね。こういうのが得意かというと冷静になって考えてみると、こういうものは俺初めてやるわけで、なぜかハードボイルドないしアクションというイメージが俺の場合、あるでしょ。得意技と思われてるけど実際はやってないわけで、不思議だね。お話としてはかつてどこかで見た西部劇であろうし、昔からあるパターンのもの。で、結局何が今回の映画を規定しているかというと"今"だろうなという気がする。撮ってる俺は今だし、演じてる方も背景もそうだし、そういう斬り口が見えれば、非常に古典的な類型化された話でもいいんだというところはあるんじゃないかな」等と述べた。
原作の舞台は山陰の温泉町だが、崔が好きな沖縄に変更した。プロデューサーの黒澤満は崔に「それはお前の趣味だ。この原作を沖縄で撮る必然性は何もない」と猛反対したが、製作者の角川春樹は「やりたければやらせてやれ。あいつが話を沖縄に持って行ってどう料理するか楽しみだ」と賛成した。しかし話が辺野古開発に反対する男の話に決まった際は、崔が劇中で赤旗を振らせる可能性を考慮し、「赤旗だけは振るなよ!」と釘を刺したという。崔は脚本の丸山昇一と話し、もう飛んだり跳ねたりする見せ場が10分か15分に1度という約束事から解き放れようと考え余分な説明は露出させず、地味な流れをつくった。但し、主人公の生き方を原作から崩さないよう心掛けた。主人公の旧友の息子・その少年の目で描かれた設定は、ロバート・B・パーカーの『初秋』を彷彿とさせる。
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