鳩山町(はとやままち)は、埼玉県の中部に位置し、比企郡に属する町。埼玉県のほぼ中央に位置し、県西部地域に属している。
東京都区部のベッドタウンとして開発された「鳩山ニュータウン」があることで知られ、通勤・通学流動では埼玉県内の各市町村よりも東京都が飛び抜けて多く27.0%を占めている。東京都以外へは坂戸市、東松山市、川越市の3市が大半を占めている。
高齢化率は45.9%(2020年)であり、県内で最も高齢化率が高い自治体である。
町内の大部分は岩殿丘陵の中央部に位置する。傾向として、町内北部が標高が高く、南部の方が低い。森林、畑地、住宅地が占めるが、町域外縁部にいくつかのゴルフ場が存在する。
町の東部は、東武東上線の高坂駅(東松山市)へ比較的近く、鳩山ニュータウン、東京電機大学埼玉鳩山キャンパス、山村学園短期大学、宇宙航空研究開発機構地球観測センター、日立製作所中央研究所といった大規模な教育機関や研究機関の施設が集中している。一方で町の北部や西部は、道路環境や公共交通の便が悪いこともあって東京からの距離の割には都市化が進んでおらず、山村地帯の風景が残っている。
比企郡に属しているが、隣接している坂戸市や入間郡毛呂山町・越生町との結びつきも強く、警察は西入間警察署、消防は西入間広域消防組合消防本部が管轄している。
鳩山町には気象観測所(アメダス)があり、関東地方の平野部としては記録的な気温が出やすく、2020年8月11日には最高気温40.2℃を観測した。観測所のある町中央部を取り囲むように丘陵地帯が広がっており、町中央部は小さな盆地のような地形になっていることから、盆地気候の特徴である夏の日中は暑くなりやすく、冬の早朝は冷え込む傾向が出やすいためである(1月の平均最低気温は-4.0℃と山形市よりも低く、年によっては氷点下10度近くを記録することがあり、冬の最低気温は秩父市とほとんど同じである)。隣接自治体と比べても気温差が激しいのが鳩山町の特徴と言える。
河川の周囲に水田が作られ、南、あるいは東に開ける谷戸が数多くある。だが町内面積に比して水田はさほど多くなく、他は畑地か山林であり、昭和中期までは養蚕業を営む農家が多くクワ畑が多かった。現在、クワ畑はほとんど見られない。
1980年代に町内の山林はいくつかのゴルフ場に開発され、町内面積として無視できない広さとなった。
奈良時代に須恵器や瓦などの窯業の一大産地として栄えた。武蔵国国分寺の瓦を焼いた窯跡など多数の窯跡の遺跡が出土している。(南比企窯跡群)また、8世紀前半と推定される小用廃寺の遺跡などから、早くから渡来文化・仏教文化を持った人たちが住んでおり、関東の古代寺院建立を担っていた人たちがいたことがうかがわれる。町の南西数キロ離れた所には当時渡来人を集めてつくられた、かつての高麗郡(716年設置)があり、このことと関係があるか、研究が待たれる。
平安時代後期から中世にかけて荘園が発達すると、年代や領主は詳細不明だが町内の地域の大部分は東松山市南部の早又・正代・宮鼻・高坂・元宿・下青鳥・石橋・岩殿・毛塚・田木・神戸と併せ、亀井庄になっていたようである(「新編武蔵国風土記稿」)。さらに鎌倉時代に鎌倉街道上道が整備されると、軍事上の要衝・宿場町や、材木の中継地として賑わいを見せた。今宿という地名は越辺川対岸の苦林宿の新興地という意味からきている。
1352年、南北朝時代の観応の擾乱における武蔵野合戦では新田軍(南朝方)が鎌倉街道の笛吹峠(鳩山町嵐山町境)に布陣し、足利軍(北朝方)との戦いがあった。『太平記』には町内の地名として「旗山」が見える(鳩山中学校より県道を挟んだ西南側丘陵地)。
1693年(元禄6年)には赤沼を領していた旗本内藤正勝が大坂定番に任ぜられ、1万石加増されて大名となり赤沼藩が立藩する。後を子の内藤正友が継ぎ、1703年(元禄16年)に岩村田藩(信濃国)に転封になるまで存続した。江戸時代の町内の地域は数家の旗本領・江戸近郊の藩領になることが多く、その領地が入り組む状態となり(「旧高旧領取調帳」)、町内では須江が前橋藩領、赤沼が岩槻藩領となっていた。
1869年(明治2年)6月29日、上記藩領を除いて町内の地域は韮山県となった。その後1871年(明治4年)の廃藩置県により、町内の地域は旧藩領を含め入間県となる。さらに県の統廃合が進められた結果熊谷県→埼玉県に属することとなり、現在に至る。
鳩山町に住居・通勤通学していれば、東松山市、坂戸市、比企郡嵐山町、滑川町、小川町、ときがわ町、川島町、吉見町、及び秩父郡東秩父村の市町村立図書館で相互利用が可能である。
市外局番は町内全域が「049」。市内局番が「2XX」の地域との通話は市内通話料金で利用可能(川越MA)。収容局は鳩山局のみ。
郵便番号は町内全域が「350-03xx」(鳩山郵便局)である。
熊谷自動車検査登録事務所の管轄区域に属し、町内においては「熊谷」ナンバーが交付される。また、車庫証明は西入間警察署に申請を行う。
軽自動車については、当町を含む比企郡は車庫証明の申請を義務付けられていない。
町内を通る鉄道路線は存在しない。
町の東側を走る東武鉄道(東武)東上本線坂戸駅・高坂駅、および西側を走る東武越生線・東日本旅客鉄道(JR東日本)八高線越生駅から路線バス4路線によって町内各地を結んでいる。
鳩山町を走る路線バスはすべて東武グループの川越観光バスにより運行されている。各鉄道駅から鳩山町に向かうそれぞれの路線バスは町内の別地域を走るが、大橋線と鳩山町営路線バスは町内の「大橋」バス停で乗り換えが可能である。
かつてはコミュニティバスである鳩山町内循環バスが運行されていたが、2022年(令和4年)3月31日をもって運行を終了し、廃止となった。
町内に高速道路および国道は通っていない。
高速道路でのアクセスは、関越自動車道・鶴ヶ島インターチェンジ(鶴ヶ島市)、または東松山インターチェンジ(東松山市)から隣接自治体を経由してのアクセスとなる。
1955年(昭和30年)、2村が合併し鳩山村が誕生した記念に、当時首相だった同じ名前の鳩山一郎に書を依頼しようということになり、村会議長が東京都まで鳩山の自宅を訪れ、鳩山家の家訓である「友愛」の書を書いてもらった。額縁に入れられ現在も役場内に掲げられている。
2009年(平成21年)7月23日には孫の鳩山由紀夫が選挙活動の合間を縫って鳩山町役場を訪問し、祖父が書いた「友愛」の書と対面している。
Owlapps.net - since 2012 - Les chouettes applications du hibou