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羽田町


羽田町


羽田町(はねだまち)は、東京府荏原郡にかつて存在した町である。現在の東京都大田区の南東部に位置し、おおむね現在の京急空港線の沿線にあたる。穴守稲荷神社を中心とした東京近郊の一大観光地として栄えた。 当該地域の現在については、北糀谷、西糀谷、萩中、羽田、羽田旭町、東糀谷、本羽田、大森南、羽田空港を参照のこと。

歴史

町村制施行以前の沿革

地名の由来には、以下の説などがある。

  • 地形説 - 多摩川河口で海に接する地を「ハネ」という。
  • 地名説 - 古代の荏原郡に特に多い田のつく地名。
  • 半田説 - 方言で半分のことを「はんだ」ということから。
  • 地形説 - 海老取川を境に2分され、その形が海上から見ると鳥が羽を広げたよう見えることから。
  • 土質説 - 赤土・粘土地などの「はに」に由来する。
  • 開墾地説 - 新開地・墾田を「はりた」というが、その転訛。

「羽田郷土史」では、羽田村は源義朝が平清盛に敗れた平治の乱の後、源氏の落武者7人が羽田浦に漂着して開村したと伝えているという。(よく似た話は琵琶湖の沖島などにもある。)

羽田浦は中世以来漁村だったが、比較的早い段階で現在の東糀谷辺りが干拓され、六郷領用水が羽田地区まで引かれたこともあり、農村として発達した側面ももっていた。江戸時代後期から明治前期にかけて、多摩川に面した一帯は羽田猟師町と呼ばれる漁業専業の町となり、人家が集中し活況を呈した。

羽田猟師町が出来たのは、1693年(元禄6年)頃といわれ、漁村部が農村部と分かれる形で猟師町が分村したもので、当初その境界はあいまいだったとされる。近代の羽田猟師町は概ね、現在の弁天橋通りの南側で、西の中村地区(現大師橋の上手、流水部が堤防に接近して河原が無い辺り)から、東の大東地区(海老取川の際)までの範囲。中心に「羽田の渡し」を有し、多摩川水運を利用した材木船、砂利船、年貢米輸送船などが多く、経済力を背景とした商人も多く存在していたという。

なお「羽田の渡し」は別名「六左衛門の渡し」と称されるが、これは公許の渡しではなく、稲荷新田(右岸)の小島六郎左衛門組が営んでいた私設の渡しだったためである。正確には「六郎左衛門の渡し」或いは「六稲荷の渡し」と呼ぶ。江戸時代にはこうした村持ちの渡しとは別に、川舟がもぐりの駄賃稼ぎとして行う「脇渡船」というのが客を奪い、「六郷の渡し」の管理権を持っていた川崎宿はいつも倒産寸前の経営状態だったとされる。

羽田は多摩川の河口にあって魚貝類が豊富に採れたため、江戸城に新鮮な魚貝類を献上する「御菜八ヶ浦」の一つとして幕府から指定を受け、羽田猟師町は江戸湾における漁猟の優先的特権を有して繁栄した。

「新編武蔵風土記稿」は羽田猟師町の項に、家数は300軒余りで、平田船15艘、茶船38艘があり、皆「御免言字御極印船(ごめんげんのじごこくいんせん)」であるとし、極印船は、昔大阪の役の際軍船を多く出したことによって極印を賜わったと説明している。

寛政の頃の「江戸近傍図」中、荏原郡付近の注釈に、「羽田村、漁士町の2ヵ所で300艘余りの漁船・商船・肥取船を持っている」ことが書かれている。(昭和4年の統計では、羽田町の漁船及び艀船の数1492隻、漁業人口 9,350名などとなっている。)

羽田浦は漁猟とともに、江戸廻米の船運権益を一手に握っていた。即ち、多摩川流域村からの「津出し」(幕府領の城米と旗本知行所などの年貢米を江戸へ回送する)を、他の介入を許さずに独占して請負っていたのである。

流域の村々は城米や年貢米を最寄の船着場まで馬の背で運び出し、そこから羽田浦の船方に江戸への回送を委託したのである。多摩川を利用して津出しを行っていた村々は、下流域の六郷領・世田谷領・川崎領・稲毛領の沿川村にとどまらず、左岸では多摩郡中領(府中・是政・石原・布田・国領など)、右岸では都筑郡小机領・多摩郡柚木領にまで及んでいた。津出しの河岸は多くの場合古くからの渡船場が使われた。

多摩川は流れが速いわりに水量が少なく、羽田浦の茶船はせいぜい古市場(現在のガス橋と多摩川大橋の中間)の河岸までしか上れなかった。そこで川上の村には、船頭が平田船の船首に曳綱を結び、川岸づたいに引張りあげたという。平田船は羽田までの川下げ専用船で、羽田で海上輸送の茶船に積み替えられて江戸に運ばれた。

天明年間(1780年代頃)になると、武蔵国荏原郡羽田猟師町で代々名主をしていた鈴木彌五右衛門という人物が、羽田村・羽田猟師町の東方にある干潟(羽田浦、今の羽田空港一丁目・二丁目付近)に目をつけ、その数町歩にわたる干潟を埋め立てて、新しい田畑を開発することにした。

そこで彌五右衛門はこの干潟を羽田村の名主石井四郎右衛門より譲り受けて、この干潟に堤防を作って開墾を始めた。この際、彌五右衛門は猟師町の名主職を嗣子に譲り、 自ら移り住んで開拓に取り組んだという。1815年(文化12年)頃には、近在農村の分家層でとくに大森村からの出百姓らが居住するようになり、新田としての形態が整えられた。この開墾事業は無事に成功したが、東京湾や多摩川に面する埋立地という環境のため、常に高潮、洪水などの水害の危険を孕んでいた土地であった。そのため彌五右衛門は、作物を植えるところは高く土を盛り、また堤防を強くするために数千本の松の木を植えることにした。この松の防潮林は、その後成長すると、沖から眺めると非常に美しい景観となった。それでこの地は、その地形から「扇ヶ浦」とか、元々一つの小さな島があったことから「要島」と人々から呼ばれるようになる。また、彌五右衛門は堤防のほとりに小さな祠を建て、毎年の五穀豊穣と海上安全の守護を祈願して、のちの穴守稲荷神社となる稲荷大神を祀ることにする。

1829年(文政12年)、この開墾地は羽田猟師町から分かれて「鈴木新田」と名付けられた。その後、羽田村・羽田猟師町・鈴木新田の三集落を合わせて「羽田三ヶ村」といわれるようになった。

町村制施行から東京市編入までの沿革

  • 1889年(明治22年)5月1日 - 町村制の施行に伴い、東京府荏原郡麹谷村・萩中村・鈴木新田・羽田猟師町・羽田村の全域が合併し、東京府荏原郡羽田村が発足。
  • 1894年(明治27年) - 鈴木新田内にナトリウム冷鉱泉が湧き出し、以後鉱泉宿街として発展する。
  • 1902年(明治35年)6月28日 - 京浜電気鉄道の羽田支線(穴守線)の糀谷駅、大鳥居駅および(旧)穴守駅が開業。
  • 1907年(明治40年)10月8日 - 羽田村が町制施行して東京府荏原郡羽田町となる。
  • 1909年(明治42年) - 京浜電鉄が、陸上トラック・野球場・テニスコート・弓道場・土俵のほか、花壇や遊園地も兼ね備えた羽田運動場(野球場)を鈴木新田に開設する。
  • 1911年(明治44年)7月5日 - 京浜電鉄が、羽田穴守海水浴場を鈴木新田に開設する。
  • 1912年(明治45年)4月1日 - 「東京府神奈川県境界変更に関する法律」が施行され、鈴木新田、羽田、羽田猟師町の各一部が神奈川県橘樹郡大師河原村に編入され分離する。
  • 1913年(大正2年)12月31日 - 穴守線が延伸され、鈴木新田に(新)穴守駅が移設される。
  • 1914年(大正3年) - (旧)穴守駅付近に羽田駅が開業。
  • 1915年(大正4年)1月 - 羽田駅を穴守方面へ移設、稲荷橋駅に改称。
  • 1917年(大正6年)1月4日 - 玉井清太郎と相羽有によって「日本飛行学校」と「日本飛行機製作所」が、鈴木新田に設立される。
  • 1927年(昭和2年)7月 - 競馬規程に基づく競馬場として、入船耕地(現在の東京都大田区東糀谷6丁目、大田区立羽田中学校付近)に羽田競馬場が開設される。(のちの1932年には、近隣の鈴木新田の東にある御台場(羽田御台場・鈴木御台場・猟師町御台場)へ移転した。)
  • 1929年(昭和4年) - 昭和の御大典を機に穴守稲荷神社が村社へ昇格する。
  • 1931年(昭和6年)8月25日 - それまで立川にあった東京飛行場が鈴木新田北側に移転開港した。
  • 1932年(昭和7年)10月1日 - 荏原郡全域が東京市に編入。羽田町の区域は東京府東京市蒲田区となる。
    羽田町域は蒲田区内の、羽田一丁目から三丁目、羽田本町、羽田鈴木町、羽田穴守町、羽田江戸見町、糀谷町一丁目から五丁目、北糀谷町、萩中町、羽田御台場、鈴木御台場、猟師町御台場の各町へ編入された。
    1932年(昭和7年)4月26日に、東京市から東京府へと提出(内申)された市域拡張案では、大森町・入新井町とともに大森区となる予定であった。

東京市編入以後の沿革

  • 1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制により東京府と統合されて東京市は廃止。東京都蒲田区となる。
  • 1947年(昭和22年)3月15日 - 蒲田区が大森区と合併し、東京都大田区となる。

施設

  • 穴守稲荷神社 - 旧鈴木新田(現羽田空港付近)村社。一帯は東京近郊有数の行楽地を形成しており、明治時代末期には人口が約1万5000人いた羽田町の税収の内、人口700人の羽田穴守地域が2割以上を納めていたという。
  • 玉川弁財天
  • 羽田神社 - 旧羽田猟師町・羽田村(現羽田・羽田旭町・本羽田付近)村社。
  • 天祖神社 - 旧萩中村(現萩中付近)村社。
  • 八幡神社 - 旧下袋村(1879年(明治12年)に麹谷村と合併、現北糀谷・大森南付近)村社。
  • 糀谷神社 - 旧麹谷村(現西糀谷・東糀谷付近)村社。
  • 東京飛行場
  • 羽田小学校
  • 日本飛行学校
  • 羽田運動場
  • 羽田穴守海水浴場
  • 羽田競馬場
  • 羽田穴守三業地

鉄道

  • 京浜電気鉄道(現:京浜急行電鉄)
    • 穴守線:糀谷駅 - 大鳥居駅 - 稲荷橋駅(現穴守稲荷駅) - 穴守駅(廃駅)

現在の地名

北糀谷、西糀谷、萩中、羽田、羽田旭町、東糀谷、本羽田、大森南一丁目、羽田空港一・二丁目(いずれも大体の範囲)

脚注

注釈

出典

関連項目

  • 東京都の廃止市町村一覧
  • 国際オリムピック大会選手予選会
Collection James Bond 007

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 羽田町 by Wikipedia (Historical)


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