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北区の町名 (東京都)


北区の町名 (東京都)




本項北区の町名(きたくのちょうめい)では、東京都北区に存在する、または過去に存在した町名を一覧化するとともに、明治時代初期以来の区内の町名の変遷について説明する。

北区の前史と行政区画の移り変わり

東京都北区は、昭和22年(1947年)3月15日、従前の滝野川区と王子区の区域をもって成立した。前身の2区のうち、滝野川区は昭和7年(1932年)10月1日、従前の北豊島郡滝野川町 の区域をもって成立した。当時の東京市には35の区があったが、このうち、単一の町村が1つの区になったのは、他に荏原区のみである。王子区は同じ昭和7年(1932年)10月1日、従前の北豊島郡王子町及び岩淵町の区域をもって成立した。以下、明治時代初期から北区成立までの行政区画の変遷について略述する。

明治維新から東京市成立まで

現在の北区の区域は、かつては武蔵国豊島郡に属し、近世末には以下の16村が存在した。

上中里村、中里村、田端村、西ヶ原村、滝野川村、豊島村、王子村、十条村、梶原堀之内村(明治10年前後堀之内村と改称)、船方村、神谷村、下村、岩淵宿(岩淵本宿村)、袋村、赤羽根村、稲付村

上記16村の区域がおおむね現在の北区に相当する。ただし、滝野川村の一部は現在の板橋区に、梶原堀之内村の一部は現在の豊島区に、船方村の一部は現在の荒川区に、それぞれ属している。また、浮間地区は大正15年(1926年)、当時の埼玉県北足立郡横曽根村(現・川口市の一部)から岩淵町に編入されたものである。

十条村は明治5年頃までに上十条村・下十条村に分かれた。岩淵宿(岩淵本宿村)は、明治8年(1875年)より岩淵本宿町と称している。他に八官新田という地名も資料に散見されるが、これは下村の一部とみなされている。

明治維新以降、これらの村は武蔵知県事の支配を経て、東京府、小菅県、大宮県に属し、明治4年7月(1871年8月)、廃藩置県実施までの過渡期には複雑な経緯をたどった。

慶応4年7月17日(1868年9月3日)、「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」が発せられ、それまでの「江戸」が「東京」に改称され、東京府が設置された。現・北区の区域については、上中里村、中里村、田端村、西ヶ原村、滝野川村は東京府に編入された。梶原堀之内村と船方村は明治2年1月(1869年3月)に発足した小菅県にいったん編入されたが、同年4月に東京府へ移管された。豊島村、王子村、十条村、神谷村、下村、岩淵本宿村、袋村、赤羽根村、稲付村は、明治2年1月(1869年3月)に発足した大宮県に属した。大宮県は明治2年9月(1869年11月)に浦和県に改称した。

明治4年7月(1871年8月)、廃藩置県が実施された。同年11月(1872年1月)、従来の東京府、品川県、小菅県が廃止されて、新しい東京府が設置された。この時、豊島郡のうち浦和県管轄だった部分(上述の豊島村以下9村を含む)も東京府に編入されることとなった。同じ時期に府内は6大区・97小区に分けられた(いわゆる大区小区制)。明治7年(1874年)3月、区割りが見直され、あらためて11大区・103小区が設置された。後に北区となる区域は、このうちの第9大区第3・6小区に属していた。

その後、郡区町村編制法の施行に伴い、大区小区制は廃止され、明治11年(1878年)11月2日、東京府下に15区6郡(荏原、南豊島、北豊島、東多摩、南足立、南葛飾)が置かれた。後に北区となる区域は、このうちの北豊島郡に属していた。

明治22年(1889年)、市制・町村制が施行され、東京市(15区からなる)が成立、府下の6郡は、既存の町村が整理統合されて85町村となった。85町村のうち北豊島郡に属していたのは19町村で、このうち現在の北区の区域に該当するのは滝野川村、王子村、岩淵町の1町2村である。王子村は明治41年、滝野川村は大正2年にそれぞれ町制施行し、王子町及び滝野川町となった。

滝野川区・王子区成立以後

昭和7年(1932年)10月1日、東京市は周辺の5郡(荏原、北豊島、豊多摩、南足立、南葛飾)に属する82町村を編入し、いわゆる大東京市が成立した。なお、従前の6郡のうち、南豊島郡と東多摩郡が明治29年(1896年)に合併して豊多摩郡となっている。編入された82町村は20区に編成され、東京市は既存の15区と合わせ、35区から構成されることとなった。この時、滝野川町の区域をもって滝野川区が、王子町と岩淵町の区域をもって王子区が、それぞれ新設された。

昭和18年(1943年)7月1日、東京府と東京市が廃止されて、新たに東京都が設置された。この時、滝野川区、王子区を含む35区は東京都直轄の区となった。昭和22年(1947年)3月15日、35区は22区に再編される。この時、滝野川区と王子区は廃止され、両区の区域をもって新たに北区が設置された。同年8月1日、板橋区から練馬区が分離して東京都の区部は23区となり、現在に至る。

新旧の地名

旧村名・大字名・町名

現・北区の区域は、明治22年(1889年)の、市制・町村制施行の時点では、北豊島郡滝野川村、王子村、岩淵町に属していた。これら1町2村と、同年の町村合併前の旧町村との対応関係は次のとおりである。

  • 滝野川村 - 上中里村、中里村、田端村、西ヶ原村、(旧)滝野川村(大部分)、下十条村(一部)
  • 王子村 - 豊島村、(旧)王子村、上十条村、下十条村、堀之内村(大部分)、船方村(一部)、(旧)滝野川村(一部)
  • 岩淵町 - 神谷村、下村、岩淵本宿町、袋村、赤羽根村、稲付村

合併前の旧町村の名称は、合併後の新町村の大字名として継承された。なお、(旧)滝野川村、下十条村、堀之内村、船方村の4村の区域は、下記のように複数の村に編入されている。

  • (旧)滝野川村 → (新)滝野川村、王子村、板橋村に分割編入
  • 下十条村 → 滝野川村、王子村に分割編入
  • 堀之内村 → 飛地は巣鴨村(後の西巣鴨町)に編入
  • 船方村 → 滝野川村、尾久村に分割編入

明治の大合併以降、昭和7年(1932年)の滝野川区・王子区成立までの間には以下の変更があった。

  • 明治41年(1908年)王子村が町制施行
  • 大正2年(1913年)滝野川村が町制施行
  • 大正15年(1926年)埼玉県北足立郡横曽根村大字浮間を岩淵町に編入
  • 昭和5年(1930年)滝野川町に大字田端新町一〜三丁目(もと大字田端の一部)と大字昭和町一〜三丁目(もと大字中里・上中里の各一部)を新設。

昭和7年(1932年)の滝野川区・王子区成立時、両区の区域内には新たな町名が設定されたが、これには従前の大字名を継承したものと、新たな名称を付したものとがある。顕著な例を挙げれば、王子町の大字堀之内と大字船方は両者の1字ずつを取って「堀船」に変更されており、岩淵町大字下は佳字を用いて「志茂」という表記に変更されている。

東京市編入時の新旧町名対照表

滝野川区・王子区の成立時の町名と旧大字名との対応関係は下表の通りである。

北区による住居表示実施後の新旧町名対照表

北区では、1964年から順次区内の住居表示が実施され、1976年までに全域の住居表示実施が完了した。なお、北区では住居表示とは別に、早い時期から大規模な町名地番整理が進められており、第二次大戦以前に町名変更済みの地区もある。

住居表示法施行以前の町名地番整理で成立した町は以下のとおりである。これらの町域については、1960年代にあらためて住居表示が実施されている(住居表示実施後の町名については、後出の表を参照)。

  • 昭和5年(1930年)成立 - 田端新町一〜三丁目、昭和町一〜三丁目
  • 昭和14年(1939年)成立 - 豊島一〜八丁目、王子一〜五丁目、岸町一・二丁目、上十条一〜五丁目、十条仲原一〜四丁目、中十条一〜四丁目、東十条一〜六丁目
  • 昭和28年(1953年)成立 - 上中里一・二丁目、栄町、西ケ原一〜四丁目、滝野川一〜七丁目
  • 昭和31年(1956年)成立 - 堀船一〜四丁目、王子本町一〜三丁目
  • 昭和35年(1960年)成立 - 浮間一〜五丁目

以下は、住居表示実施以前(1960年現在)の町名と現行町名との対照表である。

現行行政地名

北区では全区において住居表示の実施が完了している。以下は住居表示実施後の町名と、当該住居表示実施直前の旧町名の一覧である。旧町名の後に「(全)」と注記したもの以外は当該旧町域の一部である。

脚注

参考文献

  • 『角川日本地名大辞典 東京都』、角川書店 、1978
  • 人文社編集・刊行『昭和三十年代東京散歩』(古地図ライブラリー別冊)、2004
  • 人文社編集・刊行『昭和東京散歩』(古地図ライブラリー別冊)、2004
  • 重藤魯『東京町名沿革史』、吉川弘文館、1967
GIUSEPPE ZANOTTI TIFA

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 北区の町名 (東京都) by Wikipedia (Historical)



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