ケヴィン=プリンス・ボアテング(Kevin-Prince Boateng, 1987年3月6日 - )は、西ドイツ・ベルリン出身の元サッカー選手。元ガーナ代表。ポジションはFW。
出身地のクラブであるヘルタ・ベルリンの下部組織に入り、2005年にプロデビュー。2007年にイングランド・プレミアリーグのトッテナム・ホットスパーFCへ移籍。しかし、自身の素行やオーバーウェイトが問題となり、十分な出場機会を与えられず、2009年1月にボルシア・ドルトムントへレンタルで放出。2009-10シーズンはポーツマスFCでプレーした。
2010年8月17日、イタリア・セリエAのジェノアCFCと5年契約を結び完全移籍し、その後すぐに共同保有でACミランに加入した。ミランではトップ下のポジションでプレーし、7年振りのスクデット獲得に貢献。2010-11シーズン終了後にミランへ完全移籍。2012-13シーズンからは背番号をクラレンス・セードルフが着用していた10番に変更した。
2013年8月30日、ブンデスリーガ・シャルケ04に移籍が決定。背番号は9番。加入1年目の2013-14シーズンには28試合に出場し6得点をあげるが、翌2014-15シーズンにはクラブの低迷もあって不調に陥り、戦力外通告を受け、シーズン中の5月11日にシドニー・サムと共にクラブを退団した。
半年の無所属期間を経て、2016年1月5日にACミランへ半年契約で復帰した。1月17日のACFフィオレンティーナ戦では得点をあげたが、シーズン終了後に契約満了で退団した。
2016年8月2日、スペイン・ラ・リーガのUDラス・パルマスと1年契約を締結。スペイン初挑戦となった。8月22日のバレンシアCF戦でデビューし初ゴールをマーク。2016-17シーズンには加入1年目ながら28試合10得点を記録しチーム得点王に輝いた。シーズン終了後には3年間の契約を提示されていたものの、2017年8月16日にプライベートな理由により契約を解除した。
2017年8月18日、ヘルタ時代にチームメイトであったニコ・コバチが率いるアイントラハト・フランクフルトへ2020年6月までの3年契約で完全移籍。クラブはブンデスリーガ終盤戦までUEFAチャンピオンズリーグ出場権争いを繰り広げるほどの好調を維持し、自身も中心選手として31試合6得点を記録。DFBポカールでは決勝でFCバイエルン・ミュンヘンを破り30年ぶりに優勝する。
2018年7月5日、セリエAのUSサッスオーロ・カルチョへ3年契約で加入。
2019年1月21日、FCバルセロナへ半年間のレンタルで加入。800万ユーロでの買取オプションが付随している。背番号は19番。2019年8月31日、セリエAのACFフィオレンティーナへ完全移籍したことを発表した。2020年1月31日、ベシクタシュJKへシーズン終了までのレンタル移籍。
2020年8月28日、SSDモンツァ1912に1年契約で加入した。
2021年6月23日、古巣のヘルタ・ベルリンへ完全移籍。2022年6月までの1年契約を結んだ。
2001年、U-15ドイツ代表に招集され、以降U-16、U-17、U-19、U-20、U-21代表に選出された経験がある。しかし、2009年にA代表招集を巡ってドイツサッカー連盟と対立、結局A代表は父のガーナ国籍を行使してガーナ代表を選択した。弟のジェローム・ボアテングがドイツ代表を選択していたため批判もあった。ガーナ代表を選択した事に関しては、2010年のFAカップ決勝において、ボアテングのファウルによる負傷で2010 FIFAワールドカップへの出場が絶望となったミヒャエル・バラックがボアテングを批判した際、ボアテングはバラックのフィールド上での態度とファウルにも問題があったと反論。加えてドイツ代表への不満を述べ、ドイツサッカー連盟とヨアヒム・レーヴドイツ代表監督を批判した。
2010 FIFAワールドカップでは持ち前のダイナミックなプレーでガーナ代表の中盤を支え、決勝トーナメント1回戦のアメリカ戦では先制点をあげた。翌2011年11月に代表引退を表明したが、2013年に代表に復帰した。
2014 FIFAワールドカップでは、グループリーグ最終戦を目前に自国協会から「規律違反があった」としてサリー・ムンタリと共に代表メンバーから外され大会から姿を消した。チームスタッフに対する暴言が噂されたが後に本人がインタビューで自国協会の選手に対する待遇の悪さと改善の兆しが無かった事を明かしている。
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