渡辺 満里奈(わたなべ まりな、1970年11月18日 - )は、日本のタレント。東京都大田区出身。女性アイドルグループ『おニャン子クラブ』の元メンバーで、会員番号は36番。
夫はお笑いトリオ・ネプチューンの名倉潤。姪は日本の女性タレントの渡辺菜花。
所属事務所はエイプリル・ミュージック(現・「CSアーティスツ」)、SMAエンタテインメントを経て、現在はソニー・ミュージックアーティスツ所属。
東京都大田区出身。2歳上の姉と3歳下の弟がいる。満里奈という名前は、ヨット好きだった父がマリーナからとって命名したという。幼少の頃、実家は「吉乃園」というラーメン屋だったが、大田区立相生小学校入学の頃にラーメン屋は閉店した。中学1年生の終わり頃に蒲田から池上へ転居。大田区立大森第四中学校、中延学園高等学校(現・朋優学院高等学校)卒業。
渡辺本人は芸能界に興味が無くあまり乗り気では無かったものの、母・姉から「面白いから出て見たら」と追い立てるように薦められ、1984年のミス・セブンティーンコンテスト(応募総数コンテスト史上最高18万325人)に応募する。関東地区予選で落選するものの、そこでCBS・ソニーにスカウトされ、レッスン生となる。その後レッスン生時代に関係者から勧められて、1986年3月に『夕やけニャンニャン』(フジテレビ)のオーディション「ザ・スカウト アイドルを探せ」に参加。月曜日の登場時からとんねるずの石橋貴明から「(オーディションに落ちて)ウチの事務所来い!」と言われるなど、大いに気に入られて存在感を示し、金曜日には高得点(120点。合格は100点以上)で合格を果たした。その際、とんねるずの木梨憲武に「おニャン子はお前のものだ!持ってけ!」とまで言われた。審査員の秋元康も、「これでまた(音楽チャートの)1位が獲れる」と渡辺のタレント性を評価した。
1986年3月27日におニャン子クラブ会員番号36番としてデビュー。おニャン子期待のホープと呼ばれデビュー早々より人気を得て、後期おニャン子クラブの主力メンバーとなった。同じ渡辺姓の渡辺美奈代とともに「W渡辺」と称され、新田恵利・福永恵規ら初期の人気メンバー卒業後のおニャン子クラブにおいてトップクラスの人気を集めた。1987年2月に開催された初のソロ・コンサートイベントでは、日本武道館に1万人の観客が集まった。
おニャン子クラブ在籍中の1986年10月1日にEPICソニーから発売されたソロデビュー曲『深呼吸して』は、当時のオリコン初登場1位の最年少記録(15歳11か月)となった。この記録は『モーニング娘。』の後藤真希のソロデビュー曲『愛のバカやろう』2001年3月27日発売(15歳6か月)まで、約15年間破られなかった。以降、『ホワイトラビットからのメッセージ』『マリーナの夏』『夏休みだけのサイドシート』と4作連続でオリコンチャート1位を獲得。音楽番組『歌のトップテン』にもランクインし、中森明菜、小泉今日子、斉藤由貴、南野陽子などのトップアイドルと共にランキングを賑わせた。コラムニストの竹内義和は、女子高生のクラブ活動的コンセプトのおニャン子クラブの中で、渡辺満里奈だけが『スター誕生!』の卒業生的イメージを持っているとし、彼女ならではの"排他性"であろうと評した。
おニャン子クラブ解散後も、アイドル歌手として『歌え!アイドルどーむ』(テレビ東京系)や『ジャストポップアップ』(NHK)などのアイドル番組、歌番組に出演。コンサート・ツアーも行う。当初はアイドルとして事務所の意向に沿った衣装や楽曲で出演していたが、徐々に自らの意見を加味して、自分の個性に合った曲や衣装などを表現するようになっていく。
音楽性においては山川恵津子・岸正之の作品において頂点を迎えた。特にセカンドアルバム『EVERGREEN』は名盤とされ、アイドルポップスの金字塔との評価がある。EPICソニーは自社所属のアーティスト、LOOKの山本はるきちを渡辺の作品に起用するなど、ニューミュージック寄りの高品位なサウンドで従来のアイドルポップスと一線を画していた。同社の丸山茂雄のヴィジュアル戦略から、この時期のEPICソニーはCBS・ソニーに比べてジャケット製作費の上限が高く設定されていたと言われている。同年にデビューしたCBS・ソニーの渡辺美奈代と比較して、アートワークにも歴然とした差があった。渡辺のレコードジャケットの撮影に携わった写真家の大川直人は、渡辺の作品が一般的なアイドルのような撮り方にならなかったのは、大川の資質とロック志向のEPICソニーの社風がうまく共鳴した結果であろうと語った。
ロック・レーベルだったEPICソニーにおいて、渡辺は唯一成功したアイドルとされる。アイドル時代、渡辺は自身の音楽のルーツとして、大瀧詠一・佐野元春・杉真理の『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』を挙げている。
1987年10月からは、夕やけニャンニャンの後番組『桃色学園都市宣言!!』の水曜日「抜弁天女学館」にレギュラー出演。1988年1月スタートの『ときめきざかり』(フジテレビ系)で連続ドラマデビューし、『志村けんのだいじょうぶだぁ』などのバラエティ番組にもゲスト出演するようになる。とんねるずの冠番組『とんねるずのみなさんのおかげです』ではコーナードラマ『仮面ノリダー』のヒロイン"マリナさん"や、人気コーナー『モジモジくん』の"おねえさん"などの役でレギュラー出演し、お笑いの資質も見出された。ノリダーの出演により、視聴者の子供達からも大人気となる。
1988年4月からはニッポン放送『渡辺満里奈 見つめてMY HEART』のパーソナリティを務め、人気番組となる。同番組終了後の1989年4月からはFMヨコハマ『風のマリーナ』のDJを勤める。
1988年7月、8月には期間限定で原宿に自身のタレントショップ"Marina"をオープン。手作りのクッキーや手書きイラストのオリジナルグッズを販売した。
90年代以降、バラエティ番組において、タモリ、ビートたけし、みのもんた、とんねるず、古舘伊知郎といった強烈な個性の持ち主たちと堂々と渡り合い『猛獣使い』と呼ばれた。テレビドラマ『もしも願いが叶うなら』(TBS系)では主演の中山美穂の親友役で出演するなど、女優として多くのドラマにも出演した。音楽面ではフリッパーズ・ギター・小沢健二からの作品提供やピチカート・ファイヴのアルバムへの参加など渋谷系アーティストとの連携を深めた。
2000年代からは、ファッション、旅行、健康など、趣味や自身の経験による書籍を多く出版している。特に台湾通として知られており、台湾政府交通部観光局のイメージキャラクターにも選ばれた。また、2016年現在はピラティス・メソッドの実践で健康的な体型を維持している。
2005年4月5日、テレビ朝日の番組「銭形金太郎」で共演した名倉との婚約を発表し、同年5月5日に婚姻届を提出。同年10月23日に東京プリンスホテルにて結婚披露宴を行った。司会は徳光和夫が務め、みのもんた、古舘伊知郎、秋元康、爆笑問題、原田泰造、堀内健などが出席した。
2007年12月9日、男児を出産。
結婚、出産後は、2008年から雑誌『LEE』での手芸に関する連載、2009年よりオーガニック綿を用いた子供服中心のブランド「gris-gris」の立ち上げなどの活動も行っている。また、ホメオパシーにも傾倒するようになり、講演に参加するなどしている。
2010年1月4日、第2子の妊娠を自身のブログで発表。6月24日、女児を出産。
※歌手活動による作品は省略。
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