都市(とし、英: city)とは、人口の集中した地域で、政治・経済・文化の中心になっている大きな "まち" 。多くの人口集団をもっており、家屋などの建造物が密集し、住民の生産がおもに第二次産業や第三次産業に依存して発達した集落。
「村落」と対比される用語・概念である。
都市を規定するのに、人口の数を基礎とすることは昔から行われてはいるが、そのやり方は国によって異なっており、必ずしも基準が決まっているわけではない。
都市をはかる指標はいくつもある。
たとえば都市の人口規模を表す指標だけでもいくつもあり、「自治体(行政的区分)の人口」、人口集中地区(DID)の人口、「都市圏の人口」など、さまざまな指標がつかわれる。
経済に関するさまざまな統計値も用いられる。
経済力が端的に現れると見られる中心業務地区(CBD)(や都心)の大きさ(面積)を指標にする場合も稀にある。
国によって「都市」とそうでない地域の線引き(定義)は様々である。人口の "絶対数" で線引きしている国も、人口密度で線引きしている国も ある。
「都市」とみなす最低基準人口はスウェーデン・デンマークでは200人規模であり、アメリカでは2500人、スイスでは1万人であり、日本では5万人(時限立法で3万人の例あり)。国連の統計では「都市人口規模」が1,000人~30,000人とさまざまである。
また、アメリカでは「人口1万人以上5万人の地域は小都市統計地域」と定義し、「5万人以上の統計地域と一方が1.5万人以上の人口を有し、2つ合わせると5万人を超える連続する統計地域は大都市統計地域(MSA)」と定義している。カナダのCMAやイギリスのSMLAという概念も同様のものである。
現在の日本では一般的には、「行政上の区画である "市" が都市」とされるが、昭和の大合併で人口が集中する地域と農村的性質を持つ地域を併せ持ち、都市的な景観と不一致な土地利用をする市が増えたため、国は「都市的地域」を確定するための作業を実施し、1960年の国勢調査から 「4,000人/㎢の人口密度で5,000人以上の人口集積を持つ地域」が「人口集中地区(DID)」として統計上、"都市" として扱われることになった。 また、複数の市街地の連担(コナーベーション)が起き、自治体の枠を超えてそれが広がるにつれて、コナベーションした地域群の全体が "都市" や "都市圏" と呼ばれるような状況になっている。
歴史・地理学者は、文献や遺跡の面積、それぞれの時代の生産性から都市人口を推定している。古代・中世の人口統計は残っている方がまれであり、その信頼性も低い。
以下1850年頃までに100万人以上の都市域人口を有していたと推定されている都市に関し、二人の学者のピーク時推定人口を列挙する。史料が乏しい場合の推定人口の誤差は大きく、しばしば桁すら変わってしまう。より詳しい推定値については歴史上の推定都市人口を参照。
漢書によると、紀元2年の人口調査で長安には80,800戸246,200人の人口がいたとされており、戸籍に残らなかった人口を含めて40万人程度の人口を抱えていたと推定されている。以降、中国では唐代の長安、北宋 - 金代の開封、南宋 - 元代の杭州(銭塘)、明代の南京、元代以降の北京などが、人口100万人を超える大都市であったと推定されている。日本においても、平城京や平安京・平泉・鎌倉などが10万人以上の人口を有していたと推定されている。
徳川家康が構想を練り造った江戸は、徳川幕府のもとで安定して比較的平和な状態が続いたおかげで、中世末期(日本においては近世とも呼ばれる)頃には人口100万人を超え、当時の世界においては北京やイスタンブール(当時はコンスタンティノープル)と並ぶ世界最大規模の都市となっていた。
近代以降、アジアにおける人口爆発は大都市の急成長を促す事になる。
もともと家康が構想した江戸は明治維新後に大久保らによって「東京」と改称され、東京市となり、成長を続けて20世紀初頭には数百万人規模の都市になっていて、さらに人口は増えてゆき、1940年 (昭和15年) 時点では東京23区の人口は約680万人まで増えていたのだが、太平洋戦争末期頃(1944 - 1945年頃)に米軍により東京に対して100回を超える爆撃(東京大空襲)が行われ、ナパーム弾などの焼夷弾が投下された東京の町々は「焼け野原」になってしまい、東京市民は殺されたり避難(疎開)を余儀なくされたことが影響し、人口減少が続き、太平洋戦争直後の時点では東京23区の人口は半分以下の280万人まで減っていたとされる。 なお、当時は大阪も東京に匹敵する規模を持っており、特に関東大震災で東京市の人口が激減した後には一時的に大阪は東京を上回る状態になった。一方、太平洋戦争末期には大阪も大阪大空襲の犠牲となり「焼け野原」になってしまった。
第二次世界大戦の戦災で人口が減った東京は、戦後復興の中で再び成長した。現在では、東京は、「都市」として見た場合には約1000万人の規模であるが、「都市圏」のとして見た場合には神奈川・千葉・埼玉・茨城に住宅地が広がり、3,400万人とも言われる人口を抱える規模になっている。また、大阪市も京都市、神戸市と複数の核を合わせると都市圏人口1700万人の規模であり、続いて1.5%都市圏として人口1000万人弱を抱える名古屋が、さらに地方中枢都市として福岡・札幌が都市圏人口200万人以上、仙台が160万人の都市圏となっている。
20世紀後半には、工業化の進んだ国だけではなく、途上国でも都市人口が急増した。より良い雇用や教育の機会を求めて、地方から過密都市に多量の人口が流入したためである。中国・インド・パキスタンなどの大人口国家においては、名目で1千万人を超える巨大都市を初めとして、大都市が首都以外に幾つも生まれている。
都市部への一極集中などによって大都市が過密化してくると、地方、国内の拠点だけでなく海外との交流拠点も担うグローバル化が進行するため、地価は高騰し、中心部はより高次な開発が求められるようになる。その結果、中心部に北米の大都市を思わせるような超高層ビルが建ち並ぶ大都市が幾つも見られるようになってきた。経済成長が顕著な中国・東南アジア・インド・中東(後述)については、このタイプの都市が多く、近年は内陸部の拠点都市でもそのような都市形成が行われている。住宅開発も市街地拡大に沿って行われていき、主に自動車道に沿って、中層階級のための団地が延々と建設されていくが、一方で肥大化する都市形成にインフラや交通基盤の整備などが追いつかず、道路渋滞や通勤ラッシュが慢性化している他、その外れには、都心や団地に住めない貧困層が、不法にスラムを形成している例が多い。
古代ヨーロッパにおいては、(古代ローマ帝国が、ライバル国のフェニキアとの戦いに勝ち地中海世界の覇権を握り、ヨーロッパではガリア(現在のフランスあたり)や、はるかイングランドの地あたりまでも征服することに成功した結果、ローマ帝国の首都の)ローマが200万人とも推定される巨大都市へと成長した。だがその後、商業の衰退や荘園化、相次ぐ異民族の進入や内乱による都市の破壊が進み、ヨーロッパの都市は軒並み衰退した。
中世の都市人口は、最大でも40万から60万人規模(後ウマイヤ朝の首都コルドバや、東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスなど。いずれもイスラム圏や東方正教会の影響圏)であった。特に、西ヨーロッパでは10万人規模を超えた例はまれであった(百年戦争休戦期のパリが推定28万人, 最盛期のヴェネツィアが推定11万人)。
大航海時代到来後、ヨーロッパ各所に10万人規模を超える都市が出現する。
産業革命後、工業の集積でロンドンが巨大化。数百万人規模の都市となり、19世紀中葉において世界最大の都市となった。その後、各地で工業化が進むにつれ、人口100万人を越える大都市が複数生まれた。
現代では、ヨーロッパの人口停滞を背景に、都市の急成長は見られなくなった。主に、各国の首都が大都市となっている他には、大都市は少ない。首都以外での大都市の例としては、バルセロナ、バーミンガム、ミラノ、ハンブルク、ミュンヘンなど、国民国家誕生以前の地方国家の首都だった都市や、産業革命で鉱工業都市となった都市がある。
機能的でフレンドリーな方法で都市を創造する努力がなされてきた。典型的な例は、16世紀に設立されたポーランドのザモシチ市である。ザモシチ は、ルブリン市から約80kmの高地に建設された。当時、通りや建物の特別なレイアウトのおかげで完璧な都市であった。
中心市街地が歴史的価値を持っている都市では、都市開発に制限が設けられている(市街地自体が世界遺産に登録されている都市も多い)おかげで、アジアや北アメリカのように殺伐とした摩天楼が林立してしまうような事態は免れた。第二次世界大戦の空襲で完全に破壊されたドイツの金融都市・フランクフルトや、中心市街地付近の廃墟をビル街として再開発したロンドン(ドックランズ)や、ベルリン(ポツダム広場)、ヨーロッパの玄関口に位置するロッテルダムなどは例外である。
アフリカでは、紀元前からエジプトにおいて都市が発達している。特に、ヘリオポリス近隣は都市が少しずつ場所を変えて成長し、フスタート、カイロへと発展する。学者によってはプトレマイオス朝時代のアレキサンドリアは100万人を超える人口を抱えていたと推定している。 また、フェニキア人が植民都市としたカルタゴも全盛期には50万人規模の人口があったと推定されており、ローマ時代も北アフリカの重要な都市として栄えていた。
7世紀以降、イスラム教の伝播により、各地に祭礼と交易の拠点が築かれ、アフリカ北部で都市が発達した。サハラ砂漠を越えるキャラバンなど交易の網は広がり、次第にサハラ以南においても都市が発達した。
大航海時代以降、ヨーロッパ諸国による奴隷貿易や商品貿易の拠点として、西アフリカのギニア湾沿岸に港湾都市が建設された。以降、植民地の統括中心地として各地に都市が作られた。
第二次世界大戦後、アフリカの年を経て独立した国々が、自らの都市として整備を開始したが、間もなく各地で内戦が勃発。長引く戦乱により、経済活動が停滞して発展を阻害されている。一方、各国の首都などには、地方から飢饉や内戦を逃れたり、教育や雇用の機会を求めて人口が流入し、無秩序な拡大の一途をたどっている。収容し切れない人口は、都市周辺にスラムを形成している。
中東は、人類が初めて都市を作った場所の一つであり、初めて戦争を行った場所の一つである(ハモウカルを参照)。以来、多くの王国や帝国が生まれ、東西交易の拠点として商業都市が繁栄していた。ウル、ウルク、バビロン、スーサ、ニネヴェ、ダマスカス、エルサレム、ペルセポリス、セレウキアと対岸のクテシフォンなどがその典型である。その多くは、川の流れの変化や政治的拠点の喪失などにより衰退した。
イスラム教の拡大により11世紀頃には、世界でも最先端の技術と文化が生み出される繁栄の拠点となった。百万都市バグダード、イスラム教の聖地メッカ、バスラ、アデン、イスファハン、または、ヨーロッパ側のイスタンブール、アフリカ側のカイロなども、イスラム文化の中心地として繁栄した。
大航海時代以降、陸上貿易が衰えて、商業拠点としての優位性を失った都市は、次第に発展が頭打ちとなり、19世紀にはヨーロッパの都市発展を前に、相対的な没落を経験する。その一方で、ベイルートが欧米との玄関口となる港湾都市として発達。1975年のレバノン内戦勃発まで中東で重要な経済・貿易拠点となった。
第二次世界大戦以降、特に、石油危機の後はオイルマネーの流入により経済的に躍進を遂げ、アラビア湾岸には莫大な資金で維持される豊かな都市が現れた。これらの都市の富裕ぶりに人口が集中して、砂漠の中に大都市が存在している。
アングロアメリカでは、ミシシッピ文化の時代に各地で大規模な祭祀センターが築かれ、カホキアは最盛期に人口が1万人に達したと考えられている。しかし、ヨーロッパ人と接触したころにはすでに人々の分散が進んでいた。
17世紀ごろから西欧諸国による植民地化が始まると、大西洋岸に新たな都市が誕生していった。当初、大西洋岸に限られていた都市は、19世紀後半には中西部から太平洋岸にまで存在するようになり、その中の幾つかは、20世紀初頭に大都市となった。
アングロアメリカの都市は、世界に先駆けてモータリゼーションを経験した事から、自動車保有を前提にした都市計画が実施されると共に、連邦制国家であるために、各地で生み出された富や技術がさほど中央に伝播せずに蓄積し、商業、工業などの産業を成熟させたため拠点都市が幾つも形成されることになった。また、さほど自治体やカウンティの合併も行われていない。このため、中心となる都市の人口だけを見て、他国の都市と比較する事はほとんど意味を成さず、都市地理学などでは都市圏のレベルで都市規模を分析することが多い。分析の指標としては都市圏で分析したMSA(Metropolitan statistic area),広域都市圏で分析したCSA(Combined statistic area)などがある。以下の数値はCSA及びMSA、2020年)での例示である。
主たる例示として、サンフランシスコ市が挙げられる。サンフランシスコの人口は87万人であるが、東岸のオークランドを含めたMSAでは475万、サンノゼなどの近郊都市も含めたサンフランシスコ都市圏のCSAは971万人にも上る。また、ワシントンD.C.(市域69万人、MSA639万人、ボルティモアを含めたCSAで997万人)、ボストン(市域68万人、MSAで494万人、プロヴィデンスなどを含めたCSAで847万人)、アトランタ(市域50万人、MSAで609万人、CSAで693万人)、シアトル(市域74万人、MSAで402万人、CSAで495万人)、マイアミ(市域44万人、MSAで614万人、CSAで687万人)などが代表的である。他にはミネアポリス及びセントポールのTwin City(双子都市)(市域:ミネアポリス43万人、セントポール31万人、MSAで369万人、CSAで408万人)、デンバー(市域72万人、MSAで296万人、CSAで362万人)などがある。アメリカ以外ではカナダのトロント(都市圏550万人)などが代表であり、高層建造物が林立する大規模なCBD(中心業務地区)が見られ、地域中心都市、あるいはグローバル都市として顕著な拠点性を持つ。
デトロイト(市域64万人、CSAで542万人)、ボルティモア(市域59万人、CSAはワシントンD.C.を含め997万人)クリーブランド(市域37万人、CSAはアクロンなどを含め363万人)、セントルイス(市域30万人、CSAで292万人)、ピッツバーグ(市域30万人、CSAで266万人)、シンシナティ(市域31万人、CSAで232万人)、リッチモンド(市域23万人、MSAで131万人、CSA算出なし)、バーミングハム(市域20万人、CSAで135万人)などのような歴史の古い拠点、産業都市は、中心市街地の空洞化、インナーシティのスラム化、再開発に伴う建物の高次化・地価高騰などによって住民が郊外に移住したことにより、都市圏が拡大された例もある。他にハートフォード、ソルトレイクシティ、デイトン、グランドラピッズなどは、市域人口は20万人未満だが、MSAでも100万人を超えている。極端な例では、オールバニ(市域9.9万人、CSAで119万人)、グリーンビル(市域7.1万人、CSAで149万人)、ハリスバーグ(市域5.0万人、CSAで130万人)なども存在する。
反面、1970年以降になって急速に発展した西海岸やサンベルトなどの都市は人口増加のため広域合併などによって市域を拡大したため、市域人口に反してMSAやCSAが比較的少数であるケースも見られる。フロリダ州のジャクソンビル市は都市人口は約95万人で、州内で一番多いが、広域合併によって市域を拡大したためにCSAで測ると173万人に過ぎず、市域人口31万人のオーランドのCSA(422万人)より小規模である。他の例ではエルパソ、オースティン、サンアントニオ、サンディエゴ、サンノゼ、シャーロット、フェニックス、ポートランド、ナッシュビル、ツーソン、アルバカーキ、フレズノなどの例が挙げられる。また、西海岸・サンベルト諸都市以外では、インディアナポリスやコロンバスなどの例があるが、これらの都市は社会的な人口増加が顕著であり、古くからの大都市圏を席捲するようになってきている。
一方で、MSAやCSAだけで、確実に都市規模を算出できるわけではない。一つ目の問題は、カリフォルニアやテキサス、フロリダなどの流入人口増加が顕著な地域において、CBDも形成されないような衛星都市、回廊都市に対し、人口の値が大都市並みに算出されることがある。このような例としては、カリフォルニア州サンバーナーディーノ及びリバーサイド(ロサンゼルス東部に位置する内陸都市。MSAでは周辺の都市を含め、460万人(全米13位)の規模に上るが、CBDが殆ど形成されていない(人口10万人ほどの小規模MSA程度)。なお、CSAではロサンゼルス広域大都市圏に含む)、テキサス州マッカレン(メキシコ湾岸の都市。メキシコ国境にあり、主要道が通っているため、人口流入が著しくMSA換算では87万人に上るが、ロードサイドしか発展していない)、フロリダ州タンパ近郊のケープコーラル(MSA76万人)などが挙げられる。これらの都市は、ブーンバーブと呼ばれているものが多い。
もう一つの問題は、MSA及びCSAは、あくまで拠点、中心都市をベースにした統計上の算出のため、大都市の衛星、近郊都市(特に中心地に跨がった他州の都市など)における都市規模を測れないことである。このような例では、ニューヨーク大都市圏近郊の衛星都市、ニューアーク、ジャージーシティやロサンゼルス近郊の衛星都市、アナハイムなどがある。
ラテンアメリカでは、古来より祭礼の中心地として、メキシコ及びグアテマラやアンデスとしてテオティワカンやテノチティトラン、クスコなどの都市が盛えた。
大航海時代にスペインとポルトガルが侵略したため、これらの都市は破壊され、跡地はメキシコシティなどキリスト教を中心とする植民都市となった。また、大西洋沿岸部に、ヨーロッパとの金やエメラルドの交易窓口としてカリブ海沿岸やブラジル、アルゼンチンなどに港湾都市(カルタヘナ、ブエノスアイレス、リオデジャネイロ、レシフェなど)が建設され、19世紀後半から20世紀前半にかけて、農作物の集散地と欧州への輸出拠点として、これらの都市は繁栄した。太平洋沿岸に築かれたリマなどの都市からはパナマ地峡を経てヨーロッパへ金や銀が運ばれた。
20世紀後半も、工業化により都市の成長は続き、サンパウロ、メキシコシティ、ブエノスアイレスなどの千万人規模の都市が複数ある。また、2億人近くの人口を抱えるブラジルではクリチバやレシフェなど各州の中心都市も近代化が進んでいる。その一方で、アジアやアフリカと同様に、これらの都市も人口流入とスラムの形成が深刻である。
また、ラテンアメリカの大都市は、植民地時代の名残の残る歴史的な旧市街と、富裕層が集まる近代的な新市街に分かれている場合が多く、階級社会を象徴している。
オセアニアでは、19世紀あたりからアングロ・サクソン人の支配が始まり、それに従って各地に拠点となる都市が開発された。だが、大陸の大半を占める内陸部は居住に適さない砂漠であるため、人口はわずか2000万人に過ぎず、そのうちの多くがシドニー、メルボルンなどの拠点都市に居住している。また、一般に知られるシドニーやメルボルンの人口規模はいわば都市圏での換算であり、シドニー市の市域人口はわずか5万人に過ぎない(ブリスベンは市域を合併したために唯一都市圏人口と合致する)。一方、オーストラリアを除けば、後大規模な都市を形成しているのはニュージーランドのオークランドぐらいで、太平洋上の島嶼国は観光業主体や産業が不毛である上、平地が少なく都市形成には不適であるために、大都市の形成は行われていない。
「いわゆる「大都市」といった場合には、名目(人口と面積)ではなく、実質(中心市街地の機能や密度)が過度に集中している都市であり」、「一般に「過密都市」と呼ばれる都市を指す」。
日本国内では、総務省が、大阪市・横浜市・神戸市・名古屋市・札幌市・福岡市・仙台市など政令指定都市を指して大都市と称しているが、一般的には、これに特別区である東京都の23区も加わる。なお、札幌市・静岡市・浜松市・京都市など、合併で面積が広がった結果として周辺部に過疎地域を抱える大都市も有る。城や港などから端を発して、それが巨大化したのが特徴的である。
大都市の中でも、都市圏人口で1000万人を超える巨大都市を特にメガシティという。国際連合の統計によると、2009年現在、世界中に21の人口1000万人を超えるメガシティが存在しているとしている。世界最大のメガシティは人口3500万人を超える東京圏である。
都市にはライフライン・食料の供給と水・電力・通信などの手段が、都市における住民の生活を維持し、その他の都市とのつながりを確保する手段として必要とされる。都市には、電力供給の手段と上下水道の設備・道路・鉄道駅や港・空港などのインフラストラクチャーも、その人口に応じて必要とされる。また、汚水やゴミの処理などの静脈物流も必須である。更に、大量消費の時代に入ってからは、ゴミ・廃棄物の問題が顕在化して大都市においても深刻な問題となっている。
都市の発展により、都市の周辺の農村部においても、農地の宅地化や工場・商業施設などの進出など、都市としての性格を持つようになる。この現象を都市化という。この内、無計画な都市化をスプロール現象という。
日本の東京、大阪 、名古屋、札幌、仙台、新潟、岡山、福岡、熊本、宮崎、久留米、佐賀
複数の機能を集積することは都市の本質的な特徴であり、一つの都市は複数の分類に属することが多い。例えば、東京23区、京都市は、国際都市であり、観光都市であり、学術都市でもある。
世界都市は、主に経済的・政治的・文化的な活動において、グローバルな観点による重要性や影響力の高い都市のことである。グローバル都市とも言う。
国家の中央政府(国会・最高裁判所・中央省庁)や地方政府(道政府・州政府・県庁などの広域自治体)が置かれている都市。特に、国家の中央政府が置かれている都市を首都といい、州政府の置かれている都市を州都、道政府の置かれている都市を道都ともいう。
中央政府や地方政府から政策などに関する発表(日本国政府においては内閣官房が発表する)が行われるので、自然と放送局や新聞社などの報道機関が立地し情報の発信地ともなる。更に、官衙(行政庁)への届出などのために企業が立ち並び、いつしか「経済の中枢」となる都市も少なくない。(東京特別区やソウルなど)
こうなった後の首都を持つ国の一部は、政治の中枢と経済の中枢を分離するため、遷都(首都機能移転)によって新たな都市が誕生する例もある(ブラジリアやキャンベラなど)。しかし、遷都には多くの問題(経済的問題や世論の反発など)を妊むため、計画が破綻する例もある。日本では、首都機能移転計画が宙に浮いたままであり、大韓民国においても首都移転計画を憲法裁判所が却下した、など。
その地方における中枢機関(特に、道政府。日本の場合にはその地方を総轄する国の出先機関。)が置かれている都市。州都に見られるタイプである。括弧内は、その都市が中心になっている地方。
古くから交易が活発な都市。古くから大口の物資の運搬方法が船である事から、大河の辺や潮流の穏やかな、海に面した場所が多い。商業都市の近くに観光地ができやすい。
特定の工業が集積した都市。都市の経済が第二次産業で成り立つ。古くからある工業都市は、原料や完成品の運搬のために港湾設備を備えた所が多い。最近は、工業生産品がPCパーツのように小型である場合には、空港があれば、臨空都市としても産業振興が図れるという新たなケースもある。
なお、産業の裾野が広い企業(自動車産業など)の本社や主力工場が立地する都市は、その企業に関連する下請けのための工場も林立するため、俗に企業城下町と呼ばれる。代表的な例はトヨタ自動車の創業家豊田氏にちなんで市名を変更した愛知県豊田市。(旧名・挙母(ころも)が難読である、という理由も有って名称変更した)
経済が第一次産業(農業・水産業・林業)で成り立つ都市。自然環境に恵まれた場所に位置する。天候不順の時には経済的打撃を激しく受ける。また、その一帯には集散地が形成され、主に加工(製粉など)を目的とした都市が発展しやすい。また、前橋市、八王子市、厚木市、岡谷市など、かつては農作物集散地として機能し、現在はその要素が廃れているケースも多い。
基地や兵站などの軍事機関が立地している都市。陸軍、空軍主体の場合は広大な平地に、海軍主体の場合は軍艦の停泊に適した港湾に面して位置する事が多い。
研究都市、学術都市や学術研究都市・学研都市は、大学を初めとした高等教育機関や研究所が集まる都市。ハイテクパークなど。大学の新設や移転と共に付属する研究所が林立し、更に発展して、先端産業の工場が立地する事もある。海外では、名門大学が本拠を置く大学都市 (College town) (大学町または大学街)が存在する。このほかに学園都市、研究学園都市、文教都市といった都市がある。
地下資源を産出するか、産出地に生産要素(労働力・資材・機械・技術など)を供給する都市。資源を運搬する鉄道・船舶や労働者、資源を利用する重工業が集まる。産出量が落ちて衰えるなどの問題を抱える事が多い。
主に観光業で経済が成り立っている都市。観光資源を特に多く擁している都市。
保養地のある都市。温泉や高原の保養施設が多く立地する都市や、避暑地・避寒地がここに属する。観光都市に含まれることもある。
海底都市(かいていとし)とは、海底に建設される都市。現在ではまだ構想の段階で実用化には至っていない。
自由都市、帝国自由都市(神聖ローマ帝国内)、双子都市、中枢中核都市、衛星都市、自治都市、内陸都市など。
都市は人口が密集するため、様々な社会問題が発生するリスクを伴う。こうした都市特有の社会問題を「都市問題」と呼ぶこともある。一般的に人口が多ければ多いほど発生しやすく、また、先進国よりも法整備や財政拠出が十分でない途上国で顕著な傾向がある。都市問題としての課題に次のようなものがある。
それぞれの地域は、それぞれに固有の在来の生物群集を持っているが、ヒトは自分の周辺にそれらとやや異なった生物群を引き連れることが多い。例えば積極的に育成するものに家畜や作物があり、それらを育成するために作る環境にはまた多数の生物が付随して出現する。そのためそこには外来種が多く出現する。さらに、そこから家のみが集中する都市においては、作物や家畜に関わる部分が少なくなった分だけ、さらに自然な生物群集の成立する環境とかけ離れた条件となっている。従ってそこに生活する生物は多くない。しかしながら全く存在しないわけではなく、それなりに独自の生物群集が存在する。このような観点から、都市を一つの自然環境と見なした場合、都市生態系ということもある。
これは一つにはそのような環境にも耐えられる生物が残ることで成立する。踏まれても枯れないオオバコや、アスファルトのひび割れからでも花を咲かせるスミレなどは都市の道ばたにも出現する。また、公園などの形で残された緑地にはそれなりに様々な生物が住んでいる。
逆に、人間の作り出した環境条件が好適であるために増えるものもある。例えばヒトの住居は往々にして乾燥した垂直の壁や庇的構造を提供し、ツバメは現在ではほとんど人間の作った構造で巣を作る。青木純一が都市でササラダニを採集したところ、コンクリートの上に生えるコケから珍種が発見された。これは後に海岸近くの岩の上などに生息するものであることがわかったという。他に、保温性が高いためにより暖地の生物が都市で繁殖する例もある。ゴキブリなどもこの例であろう。
特定の都市を指し、接尾語として「○都」「○○の都」「○京」の様に命名している事がある(歴史上の「都」と同意義ではない)。古くは、国府や守護大名の所在都市に、「府」「陽(洛陽つまりその国の都)」を付けた名称もあった。甲府や防府など、現在の都市名に引き継がれているものや町おこし・地域ブランドづくりのために地域の歴史や産業にちなんで名付けられたものもある。
西条(地下水が豊富で「うちぬき」と呼ばれる自噴井が多数存在)、大垣(水都タクシー、デリカスイト等所在企業名にも使用)
また、海外の都市を漢字で音訳する場合、都市名の音の頭文字を漢字に置き換えて、それに「都」「府」「港」を付ける事がある。ただし、これは、古風な表現で現在においては殆ど用いられない。なお、現在での漢字表記を、括弧内に記す。
大都市や小都市や村落など、規模を問わず、基礎自治体を同じ名称で呼ぶ国はヨーロッパに多く見られる。
この代表的な国家には、フランスやイタリアなどがある。これらの国家では、パリやミラノのような大都市でも、カンヌのような小都市でも、カマンベールのような村落でも、全て「commune(仏:コミューン)」や「comune(伊:コムーネ)」と呼ばれる。イタリアでは、市役所(・村役場)のウェブサイトのURIにおいて“comune”の後に都市名(・村落名)が付く自治体が多い。
一般に、首都は「特別市」として、一市単独で州・道を構成する所も多い。しかし、首都以外でも、過密になり大都市となっている市もある。その中にも、「特別市」として、一市単独で州・道を形成する所もある。以下に、その例を挙げる。
類似概念と反対概念についても説明しておく。
都市の類義語としては、都会や都などがある。
ただし「都市」と呼んだ場合には、規模の大小を問わないのに対して「都会」・「都(みやこ)」というと、規模が都市の中でも特に大きな都市を指す場合が多い。
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