Aller au contenu principal

小笠原忠徴


小笠原忠徴


小笠原 忠徴(おがさわら ただあきら)は、江戸時代後期の大名。豊前国小倉藩の第7代藩主。官位は従四位下・左京大夫、侍従。小笠原家宗家8代。

生涯

第6代藩主・小笠原忠固の次男として誕生。

文化8年(1811年)2月16日、父忠固の嫡子となる。文政7年(1824年)5月15日、第11代将軍・徳川家斉に拝謁する。同年12月16日、従五位下伊予守に叙任する。後に左京大夫に改める。天保6年12月16日、従四位下に昇進する。天保14年(1843年)9月3日、父忠固の死去により、家督を継いだ。嘉永2年(1849年)12月16日、侍従に任官する。

父の時代から小倉藩は財政難に悩まされた上、複雑な政争もあって家老や藩士など300人以上が筑前国黒崎に出奔するなどの事件もあって、忠徴が継いだ頃の小倉藩は混迷を極めていた。忠徴はこのような藩を立て直すため、積極的な藩政改革に取りかかる。

まず、忠徴は不正を許さず、これらを厳しく摘発する。さらに安政元年(1854年)には種痘を実施した。その他にも、農民に対して善政を施すなどして藩政を立て直した。安政3年(1856年)、49歳で死去した。死後、家督は養子の忠嘉が継いだ。

系譜

  • 父:小笠原忠固(1770-1843)
  • 母:不詳
  • 正室:寛姫(1815-1856) - 前田斉広の四女
  • 婚約者:直姫(1809-1825) - 前田斉広の長女
  • 生母不明の子女
    • 女子:戸沢正実正室 - のち小笠原忠固養女、小笠原忠幹正室
  • 養子
    • 男子:小笠原忠嘉(1839-1860) - 小笠原貞哲の四男

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 小笠原忠徴 by Wikipedia (Historical)


INVESTIGATION