委任統治(いにんとうち、mandate)とは、国際連盟規約第22条に基づき国際連盟によって委任された国が国際連盟理事会の監督下において一定の非独立地域を統治した制度である。実質的な植民地支配とされることもある。
委任統治の対象地域は、第一次世界大戦の敗戦国ドイツ帝国のアフリカ及び太平洋の植民地と、敗戦国オスマン帝国の支配下にあった中東地域である。
形式的には戦勝国がこれらの地域を自国の植民地として搾取することを防止すると共に、住民の福祉を推進し、将来の自治・独立に向けたサポートをすることが目的であると謳われた。
この制度は、第二次世界大戦後に廃止され、国際連合下の信託統治制度へと発展・継承された。
第一次世界大戦が勃発すると、アメリカ合衆国が参戦する以前に、イギリス、フランス、日本などは、ドイツの植民地やオスマン帝国の属州を占領し、お互いに秘密協定によって戦後の分配について取り決めていた。しかし、戦後処理が始まると、秘密協定に基づく植民地の分配に対し、アメリカ合衆国のウィルソン大統領が異を唱えた。彼は既に大戦中から提唱していた「民族自決原則」を主張し、また、戦争後に敗戦国の植民地を戦勝国で再分配するという慣行が続く限り、植民地の争奪戦がいつまで経っても繰り返される危険性を強くアピールした。その背景には、アメリカ以外の戦勝国が支配領域を拡大することを容認するのは、アメリカにとって不利益であり、また、自らの支持率を下げる要因となりうるということもあった。お互いに譲らず、両者の交渉は難航した。その中で、イギリスの代表として会議に出席していた、南アフリカ連邦のヤン・スマッツ将軍は、妥協案として委任統治制度を提案した。スマッツ将軍の案では、その対象地域はドイツの植民地と、ロシア革命によって倒れたロシア帝国の支配下にあった東欧地域であったが、ウィルソン大統領は、これをドイツの植民地とオスマン帝国の支配下にあった中東地域に修正することで賛成した。イギリスも、この制度が運用次第で従来の植民地統治と実質的には同じとなると判断し、賛成した。
委任統治制度は、ヴェルサイユ条約の第1編である国際連盟規約に規定され、同条約の発効した1920年1月20日に国際連盟の発足と同時にスタートした。
委任統治を担当する国は、受任国という。大戦中に該当地域を占領した国が受任国となっており、具体的にはイギリス・フランス・日本・ベルギーのほか、当時イギリス帝国の自治領だったオーストラリア・ニュージーランド・南アフリカも単独ないし共同で受任国に指定された。
委任統治が適用される地域は、委任統治領または委任統治地域という。委任統治領は、地域住民の自治能力の程度に応じて、A・B・Cの3段階に分類され、統治の方法が異なる。
A式は、住民自治を認め、早期独立を促す地域である。この地域は早期独立を前提としていたので、その住民には受任国とは別の国籍が与えられた。
B式・C式にあたる地域は、住民の水準が自治・独立に未だ不十分であるため、受任国の介入が期待される地域である。
B式は、宗教その他の面で地域住民の独自性を可能な限り尊重することが要求され、受任国とは別の法制度による統治方法がとられる地域である。C式は、人口が少なく地域の文化が受任国の文化と共通点が多いため、受任国の構成部分として扱うことが許された。日本が受任国となった南洋群島はC式である。B式・C式の地域住民に対しては、国籍は与えられなかった。
委任統治の監督は、国際連盟理事会の権限であるが、その事務処理を行うための常設の委任統治委員会が設置された。各受任国は、定期的に国際連盟理事会に対し、該当地域の統治に関する報告をする義務がある。
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