Aller au contenu principal

宮下トモヤ


宮下トモヤ


宮下 トモヤ(みやした ともや、1981年7月20日 - 2011年12月31日)は、日本の男性総合格闘家。北海道苫小牧市出身。パワーオブドリーム所属。

自ら「日本一巧い」と公言するフロントチョークを得意技としていた。

来歴

学生時代は柔道部に在籍し、北海道苫小牧工業高等学校卒業後にバトラーツB-CLUBに入門した。

2002年7月23日、プロデビュー戦となったKushima's Fight 2で古島央と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。当時は本名である宮下智也をリングネームにしていた。

2002年10月29日、初出場となったパンクラス(パンクラスゲート)で平山英明と対戦し、時間切れドロー。

2002年12月8日、DEEP初出場となったDEEP2001 7th IMPACTの第1回フューチャーキングトーナメント69kg以下級1回戦で会田雅芳と対戦し、TKO負けを喫した。

2004年5月2日、パンクラス・ネオブラッド・トーナメント ライト級(-69kg)予選1回戦で桜沢正己に3-0の判定勝ちするも、負傷により山田崇太郎との決勝を棄権した。

2004年9月24日、リングネームを宮下トモヤに改めパンクラスゲート・ライト級プロフェッショナル昇格トーナメントに出場。1回戦で笹原トメヤフィリョと対戦し、アームロックで一本勝ち。11月26日、準決勝で広瀬和哉と対戦し、フロントチョークで一本勝ち。12月21日、決勝で松本光央と対戦し、0-3の判定負けで準優勝となった。

2006年10月10日、DEEP 26 IMPACTのフューチャーファイトで小見川和隆と対戦し、フロントチョークで一本勝ちを収めた。この試合がフリーランスとしての初戦となった。

2006年12月9日、DEEPフューチャーキングトーナメント2006・65kg以下級に出場。1回戦から準決勝までの3試合をすべて一本勝ちで決勝進出を決めた。12月20日、DEEP 27 IMPACTで行なわれた決勝で北田俊亮と対戦し、1-2の判定負けで準優勝となった。

2007年2月16日、DEEP 28 IMPACTのフューチャーファイトで高橋基希と対戦し、時間切れドローとなった。この試合からパワーオブドリーム所属となった。

2008年8月30日、キックボクシング初挑戦となったR.I.S.E. 49で板橋寛と対戦し、3RKO負けを喫した。

2008年11月8日、CAGE FORCE初出場となったCAGE FORCE EX -eastern bound-で大沢ケンジと対戦し、0-3の判定負けを喫した。

2009年8月14日、Krush初出場となったKrushライト級グランプリ2009のリザーブファイトで青津潤平と対戦し、0-3の判定負けを喫した。

2009年10月25日、DREAM初出場となったDREAM.12でZSTバンタム級(-60kg)王者藤原敬典と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。

2009年12月19日、DEEP初のケージ大会となったDEEP CAGE IMPACT 2009で山本篤と対戦し、0-3の判定負けを喫した。

2010年4月17日、DEEP 47 IMPACTでダレン・ウエノヤマと対戦し、フロントチョークで一本勝ちを収めた。

2010年8月27日、DEEP 49 IMPACTでDEEPバンタム級王者今成正和に挑戦し、0-5の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。

2010年11月、縦隔に腫瘍(性腺外胚細胞腫瘍 非セミノーマ)が見つかり、治療のため入院した。

腫瘍摘出の手術は成功したものの、2011年5月には急性巨核芽球性白血病も発覚し、同年12月31日午後6時10分に亡くなった。30歳没。

戦績

総合格闘技

総合格闘技タッグマッチ

キックボクシング

脚注

関連項目

  • 男子総合格闘家一覧
  • DREAM選手一覧

外部リンク

  • 宮下トモヤ日記 - Ameba Blog
  • DREAM 選手データ
  • K-1 選手データ
  • 宮下トモヤの戦績 - SHERDOG(英語)

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 宮下トモヤ by Wikipedia (Historical)


ghbass