稚内市(わっかないし)は、北海道北部(道北地方)にある市で、宗谷総合振興局の振興局所在地である。北方領土を除く日本本土の最北端に位置しており、宗谷地方の行政・経済の中心地。
アイヌ語の「ヤㇺワッカナイ(ラテン翻字: yam-wakka-nay)」〔冷たい・水(飲み水)の・沢〕より。
現在の港1丁目付近にあった小川が由来とされる。かつてこの付近は良い水の得にくい場所だった中で、この小川が例外的に良い水だったことから付いた名と考えられる。
稚内市は西は日本海、北は宗谷湾・宗谷海峡、東はオホーツク海に面しており、南北約39 km、東西約38 km、面積は約761.47 km2ある。宗谷岬からサハリン州のクリリオン岬(ロシア語: Мыс Крильон)(旧称西能登呂岬)までは約43 kmの距離にあり、日本国内で最も樺太(サハリン島)に近い。最北端は宗谷岬北西にある弁天島(北緯45度31分35秒、東経141度55分09秒)であり、現時点での日本国が実効支配する国土の最北端になっている。地勢は南北に縦走する2本の丘陵性山地、これらの中間と両端に発達する低地帯からなる。東側の脊梁山地は「宗谷丘陵」と呼ばれており、周氷河地形を形成し「宗谷丘陵の周氷河地形」として「北海道遺産」に選定されている。西側の丘陵帯と日本海との間にある低地帯は砂丘と湿地であり、「利尻礼文サロベツ国立公園」の一部になっている。
ケッペンの気候区分では亜寒帯湿潤気候(湿潤大陸性気候)(Dfb) に属す。宗谷海峡に面しているため海洋からの影響を受けやすい海洋性気候である。冬期は内陸部に比べて比較的温暖な気候になっている。最高気温は低いが海風の影響で朝晩の冷え込みはかなり緩く、1月の平均最低気温はヒートアイランド現象が著しい札幌市並みである。積雪期間は11月上旬から4月中旬であり、1月下旬から2月にかけてはオホーツク海から宗谷海峡に流氷が流入し、一部が接岸することがある。夏は緯度が高いこともあり北海道内でも安定して冷涼である。夏日日数の平年値は10日を切る。近年は冷涼とされる道東やオホーツク海側で猛暑日が多発するなか、2001年から2020年までの20年間は真夏日すら観測されていなかった。海岸に面しているため風が強く、日最大風速10 m/sとなる日が年間88.9日ある。
国勢調査による稚内市の人口は、1975年(昭和50年)の55,464人をピークに減少しており、2002年(平成14年)には「過疎地域」に指定されている。社会動態は1969年(昭和44年)に転出数が転入数を上回る社会減が続き、自然動態は2003年(平成15年)以降は死亡数が出生数を上回る自然減が続いている。2010年(平成22年)から2013年(平成25年)の4年間では1,588人の転出超過であり、道北では最大の転出超過数になっている。特に生産年齢人口の流出が激しく、2012年(平成24年)10月からの1年間で734人減少(減少率3.2%)している一方、高齢者人口は160人増加している。
「平成27年国勢調査」によれば、以下の集落は調査時点で人口0人の消滅集落となっている。
稚内は1685年(貞享2年)に松前藩が藩主直轄の宗谷場所を開設したことに始まり、アイヌとの交易の場や北方警備の要所になった。1879年(明治12年)、宗谷村に戸長役場が置かれたことを稚内の開基としている。
「稚内のあゆみ」参照
稚内市民憲章
都市宣言
地方独立行政法人
特殊法人等
野寒布駐在所、勇知駐在所、声問駐在所、沼川駐在所、宗谷駐在所、宗谷岬駐在所
稚内市の産業は水産、農業、観光を基幹産業としている。また、旭川以北で最大の都市になっていることから、海上保安部、自衛隊、税務署、裁判所、区検察庁などの国の機関や宗谷総合振興局が置かれている。港湾は重要港湾の稚内港を始めとして、地方港湾の宗谷港や9つの漁港がある。産業別就業者は第一次産業が8.4 %、第二次産業が21.9 %、第三次産業が69.8 %になっており(平成22年国勢調査)、第一次産業(特に漁業)の割合が高くなっている。
漁業は北洋漁業を中心とする水産業が発展し、1960年(昭和35年)には第一次産業が産業別人口全体の約30%を占めていたが、1977年(昭和52年)の「200海里漁業専管水域」の設定により、関連業種を含めて打撃を受け、就業人口が大きく減少した。市場は主に沖合いの底曳網漁業による漁獲物を扱う「稚内市地方卸売市場」、主に沿岸の漁獲物を扱う「稚内漁業協同組合地方卸売市場」がある。魚種別水揚高はホタテガイが最も多く、次いでホッケ、イカナゴ、ナマコなどがある。ロシアから輸入される水産物は1988年(昭和63年)頃から始まり、1993年(平成5年)頃から本格化した。2012年(平成24年)に水産物の密漁・密輸出対策に関する日露協定が結ばれ、2014年(平成26年)に発効し、それまで主な輸入海産物であったカニにも確認手続きが必要になったため、カニ輸入が減少した。
農業は昭和20年代に畑作農業から有畜農業への転換を図っており、酪農を主業としている農家の割合が高くなっている。そのため、農業生産は主に生乳と牛の個体販売であるが、一部の農家で馬鈴薯(ジャガイモ)を中心にイチゴやミニトマトなどを生産している。
林業は明治末期から大正後期にかけての乱伐と山火事による無立木地の解消を目的に造林事業を行ってきた。昭和20年代後半から民有林の造林が本格化した。
工業は製造品出荷額の多くを食料品製造業が占めており、水産物加工業が主な産業になっている。商業は宗谷地域の中心都市としての機能を有しているが、購買力が市外に流出しており、市内の空洞化が見られる。
付近に風を遮る地形が少なく、日最大風速10 m/sに達する日が年間83.8日ある稚内市は、日本国内における風力発電の導入に先駆的な地域である上、さらにバイオマスの燃料を使用した発電や、太陽光発電などにも取り組んできた結果、再生可能エネルギーだけで市内の消費電力の約9割を賄うことができる発電量を達成した。
稚内周辺では1989年に天北線が廃線になった上、宗谷本線も列車の減便が続き、廃線に向けた検討が行われるなど鉄道は存続が厳しい状況にある。一方で、稚内空港は1987年にジェット機の就航が可能になった後、2009年には滑走路が延長供用されるなど空港の整備が続けられている中で、2013年度の稚内の観光入込客数は497,400人と低調だった。これは1995年度の半数に満たない状況である。
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「天北地区、恵北・増幌地区」を対象とした乗合タクシー(予約制)を運行している(乗合タクシーの運行は宗谷バスが行っている)。
市内を通る幹線道路は、シーニックバイウェイの「宗谷シーニックバイウェイ」になっている他、北海道道106号稚内天塩線には「日本海オロロンライン」の愛称がついている。
稚内付近の海域には魚介類が多数生息している上、海藻類も豊富に生育しており、ホタテガイ、ウニ、ツブ貝、ナマコ、ミズダコ、オオナゴなどが獲れる。春から秋にかけてはハマボウフウやタケノコ(チシマザサ)などの山菜、馬鈴薯(ジャガイモ)やカボチャなどの野菜を収穫することができる。勇知いもは冷水害の影響や畑作から酪農への転換により販売中止に追い込まれたが、特産品復活のために有志が研究会を設立し、自然冷熱利用貯蔵庫を使用することで馬鈴薯の高糖度化を実現しており、北海道の「YES!clean」表示制度、特許庁の「地域団体商標」に登録されている。稚内から生まれた水産物、農畜産物、加工品などを「稚内ブランド」に認定しており、北海道内外に宣伝している。
稚内のラーメンはホタテラーメン、エビラーメン、カニラーメン、海藻ラーメンなどを店舗独自に開発している。宗谷丘陵では「宗谷黒牛」を放牧しており、日本国内最大級の公設牧場「宗谷岬肉牛牧場」で飼育している。「稚内牛乳」は低温殺菌によって牛乳本来の風味を残しているため賞味期限が短く、地元でしか味わうことができない。タコ(ミズダコ)の名産地であることから「たこしゃぶ」や肉の代わりにタコを使用した「タコカレー」がある。稚内では炒麺(チャーメン)を提供する飲食店が多く、店舗ごとに特色がある。
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