2000年日本グランプリ(XXVI Fuji Television Japanese Grand Prix)は2000年F1世界選手権の第16戦として、2000年10月8日に鈴鹿サーキットで開催された。
ミハエル・シューマッハ(フェラーリ)がドライバーズチャンピオンに王手をかけて日本GPを迎えた。ランキング2位ミカ・ハッキネン(マクラーレン)とのポイント差は8点であり、このレースで10点差以上に広げればタイトルが決定する。
この年の日本GPは予選から決勝まで、このライバル両名の一騎討ちが演じられることになった。
シューマッハとハッキネンは前年のポールタイム (1分37秒470) を約1.5秒短縮し、1分35秒台に突入して交互に最速タイムを塗り替えあった。セッション残り僅かでシューマッハが1分35秒825のスーパーラップを記録し、ハッキネンを1000分の9秒上回る。ハッキネンもタイムアップ寸前に最終アタックを行い、セクター1通過タイムでは1000分の2秒上回ったが、後半区間をまとめきれず2位に終わった。ふたりの差はコース上の距離にしてわずか45cmだった。
10月8日の決勝日は曇り空で、時折小雨が降るコンディションだったが、全車ドライタイヤを装着してスターティンググリッドに並んだ。日本GPは3年連続してシューマッハとハッキネンのフロントロー対決となったが、ポールポジションのシューマッハは今回もスタートを失敗し、ハッキネンが1コーナーを制した。1周目の順位はハッキネン(マクラーレン)を先頭に、ミハエル・シューマッハ(フェラーリ)、クルサード(マクラーレン)、ラルフ・シューマッハ(ウィリアムズ)、アーバイン(ジャガー)、バリチェロ(フェラーリ)、ジェンソン・バトン(ウィリアムズ)、ハーバート(ジャガー)と続いた。逃げるハッキネンと追うシューマッハは2〜3秒の間隔を保ったまま周回を重ねる。3位クルサードはトップ2台のハイペースについていけず、チャンピオン候補同士のマッチレースとなった。
ハッキネンは21周目に1回目のピットインを行い、6.8秒の静止時間でコースに復帰。次の周にはシューマッハもピットインし、7.4秒の静止時間でハッキネンの後方に戻る。この給油作業でフェラーリチームは第2スティントを伸ばすため、多めの燃料を搭載した。
30周過ぎには雨の影響が出始め、ハッキネンとシューマッハの差が1秒前後にまで接近した。ハッキネンは37周目に2回目のピットインを行い、静止時間7.4秒でコースに復帰。しかし、湿った路面に温まっていないドライタイヤで走り出したためペースが上がらず、さらに周回遅れの処理にも手間取った。この間、シューマッハは燃料の軽い状態でタイムマージンを稼ぎ、3周後にピットイン。6.0秒で作業を終えピットレーン出口に差し掛かる頃、ハッキネンはまだ最終コーナーを立ち上がったばかりで、トップの順位が逆転した。
その後、シューマッハはハッキネンとの差を安全圏に広げてチェッカーフラッグを受け、1997年以来となる日本GP3勝目を達成。同時に、1994年・1995年に続く自身3度目の、フェラーリ移籍5年目にして初のドライバーズタイトルを獲得した。フェラーリドライバーのチャンピオン獲得は1979年のジョディ・シェクター以来21年ぶりとなった。ゴール直後、シューマッハはステアリングを叩いて絶叫し、表彰式ではチーム代表のジャン・トッドと抱き合って喜びを顕わにした。敗れたハッキネンはファン・マヌエル・ファンジオ以来の3連覇を逃したが、シューマッハの勝利を祝福した。
3位クルサード、4位バリチェロに続き、鈴鹿初挑戦となる新人バトンが5位を獲得。F1第3期活動初年度のホンダエンジンでは、ヴィルヌーヴ(B・A・R)がジャガー勢とのバトルを制して6位に入賞した。
Owlapps.net - since 2012 - Les chouettes applications du hibou