浜田(はまだ)は秋田県秋田市にある大字。郵便番号は010-1654。住居表示未実施地区。
本稿では、1954年(昭和29年)10月1日に秋田市へ編入された旧河辺郡浜田村についても併せて解説する。
秋田市の南西部に位置し、西は日本海に面する。地区中央に大森山(標高123.5m)が聳え、地区を東西に分断している。大森山の西を国道7号(秋田南バイパス)及びその旧々々道である羽州浜街道が縦断し、東を国道7号旧道である秋田県道56号秋田天王線と旧々道である秋田市道、及びJR羽越本線が通っている。集落は西側の旧街道沿いと、東側の館ノ丸付近(県道56号と秋田県道65号寺内新屋雄和線が交わる大森山動物園交差点付近)にある。大森山を中心とした129.2haは風致地区に指定され、大森山公園となっており、大森山動物園や大森山ゆうえんちアニパ、秋田県内のテレビ・FMラジオ局の送信所が設置されている。
北は新屋(新屋町字北愛宕町・新屋日吉町・新屋比内町・新屋前野町・新屋田尻沢西町・新屋町字田尻沢)に、東は豊岩(豊岩石田坂字鎌塚・字館ノ沢・豊岩豊巻字妙堂沢)に、南は下浜(下浜桂根字一ト羽・字宮ノ前・字境川)に隣接する。
36の小字が設置されている。
2016年(平成28年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。
平安時代に出羽国河辺郡芹泉郷として成立。鎌倉時代から浜田の名が記録されており、橘氏(小鹿島氏)領であったとされる。公式には百三段(ももさだ。毛々左田とも表記)浜田村と称され、百三段の名は百三段新屋村・百三段石田坂村を合わせた3ヶ村に冠称されていた。室町時代には橘氏の一族である小野氏が安東氏(秋田氏)の下で雲崎舘(館ノ丸)を根拠とし、のち赤尾津氏領となった。
江戸時代の初期は山形藩最上氏領で、元和8年(1622年)まで由利郡に属したが、同年の領土交換により久保田藩佐竹氏領となり豊島郡(寛文4年(1664年)に河辺郡と改称)へ移った。以来久保田藩領の南端で、境川が亀田藩(領土交換と同年の元和8年、お家騒動で改易された最上氏の領地が分割された)との藩境になった。「正保国絵図」では百三段3ヶ村で688石、「享保黒印高帳」では村高294石余・当高284石余(うち本田206・本田並46・新田32)、「享保郡邑記」では120軒(うち枝郷の中村・滝ノ下2ヶ村分79)、「寛政村附帳」では親郷豊巻村の寄郷で当高331石余とされていた。「秋田風土記」によると220戸・375石で枝郷2、漁業が盛んで、中村では製塩を行っていたという。また枝郷中村には唐船番所があり、久保田藩士が勤番していた。冬に筵を織って久保田へ売りに行くため、馬が多かった。
以下はすべて住居表示実施に伴う変更。
JR東日本羽越本線が地区東部を縦断しているが、駅は無い。但し北の町字境から600mほど先の新屋扇町に新屋駅が、南の字境から150mほど先の下浜桂根に桂根駅がある。
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