公益社団法人日本化学会(にほんかがくかい、英: The Chemical Society of Japan, 略称:CSJ)は、化学に関連する仕事をしている研究者・企業人・学生を主な構成員とする日本の学会。創立140年を超える国内最大の自然科学系学術組織であり、アメリカ化学会に次いで世界第2位の規模を誇る。
日本化学会の前身である化学会は、1878年(明治11年)4月26日に東京大学理学部化学科の学生25名によって結成されたのが始まりで、設立はイギリス化学会(1841年、現・王立化学会)、フランス化学会(1857年)、ドイツ化学会(1867年)、ロシア化学会(1968年)、アメリカ化学会(1976年)に続く世界で6番目のことだった。初代会長は久原躬弦である。
1879年に「東京化学会」と改名され、日本初の科学雑誌「東京化学会誌」が刊行された。東京大学理学部の教官や卒業生を中心に運営されていたが、次第に会員数が1050人まで増加し分布が拡大したため、1921年(大正10年)に「日本化学会」と再び改名された。しかし、化学が学問として根付く過程は決して平坦なものではなく、例えば創立5年目から2年間会長を務めた櫻井錠二は早くからイギリスの化学者ジョン・ドルトンが提唱した原子論を信奉し純正化学教育の重要性を主張してきたが、化学を経験に基づく実学と捉える多数の会員から「空理空論の輩」と非難され1886年(明治19年)に会長職を追放される。
当時東京化学会においては化学用語の訳語の統一が重大な課題として挙がっており、櫻井も訳語選定委員を務めていた。特に大きな問題になったのは化学と舎密学の対立であった。江戸時代に舎密の語が作られた当時には理論化学と呼べるような体系はまだ構築されていなかった。そのため、舎密は応用化学を指す語として受け入れられてきた。大日本帝国時代になっても工業化学分野では根強い支持があった。1884年(明治17年)に化学を舎密学と改めることについての全会員73名による投票が行われ、賛成35名で否決されている(改定には2/3の賛成が必要とされていた)。このような状況下で櫻井は現在の物理化学の発展と化学が原子運動を解析する学問となるであろうとする展望についての会長講演を行った。しかしこの講演はむしろ工業化学派の反感を呼んだと思われ、当時ドイツに滞在していた薬学者の長井長義を会長として迎えるクーデター人事により会長職を追放された。しかし1903年(明治36年)に会長に再選された。
1925年(大正14年)には、「日本十大発明家」の1人でありグルタミン酸ナトリウムの発見者池田菊苗の還暦祝賀記念に際して醵金された資金が日本化学会に寄付され、1926年(大正15年)に日本を代表する化学分野の総合論文誌である英文論文誌「Bulletin of the Chemical Society of Japan」が創刊された。
1907年(明治40年)、櫻井錠二は在職25年記念祝賀会に有志から寄せられた基金を会に寄付し、優秀な研究者に桜井褒章を授与し「日本化学会賞」の起源となった。更に昭和11年、真島利行の還暦祝賀会に寄せられた醵金を基に真島褒章が設立され、第1回真島賞は「紅花の色素カルタミンの構造決定」という功績に対し日本最初の女性化学者黒田チカに授与された。天然色素に関する黒田の研究に関して、2013年に日本化学会がその関連資料を化学遺産に認定した。
工業化学会の設立は1898年(明治31年)である。初代会長は旧幕時代にオランダで化学を学修し、明治政府にあって農商務大臣や文部大臣を歴任した榎本武揚、副会長には東京化学会常議員の森省吉が就任した。
日本化学会の事務は創立以来東京帝国大学内で執られてきたのに対し、工業化学会は本部の移動が多く大正10年(1921年)には牛込区柳町、大正15年(1926年)には本郷区森川町、昭和6年(1931年)には麹町区丸の内に設置される。昭和16年(1941年)に、現在日本化学会本部が位置する神田区駿河台1丁目に敷地面積211坪、延べ床面積70坪の建物を購入し社団法人化された。
第二次世界大戦に突入し戦局が進むにつれ、会員の中から応召される者が増加した。応召会員には会費免除の処置をとっていたが、その一方で会誌に戦死者の氏名が掲載されることも多くなっていった。終戦に際し会員名簿を整理した際、連絡がつかずに名簿から削除した会員の人数は両学会合計で全体の約30%にあたる7000名に上った。学会活動は、昭和21年(1946年)の初期頃から再開された。昭和22年(1947年)は、化学工業会の創立50周年であったが、旅行の困難さのために記念年会は東京と京都で分けて行わざるを得なかった。
敗戦は両学会、特に日本化学会の財政事情を悪化させたが、それよりも「化学と化学工業の関係」に関する本質的な議論が昭和21年(1946年)頃から始まった。共に大阪大学の教員であった千谷利三、赤堀四郎(日本化学会側)、香坂要三郎(工業化学会側)の議論が出発となって両学会を育成した他地区の人達にも理解され、昭和21年(1946年)11月に東京都で第1回合同会議が開催された。そして翌昭和22年(1947年)10月と11月に両学会はそれぞれ臨時総会を開催し合併を決議した。そして昭和23年(1948年)1月から新しく日本化学会が発足し、初代会長として後に日産化学工業社長や日本経済団体連合会会長を務める貴族院議員の石川一郎が就任した。2011年(平成23年)には公益社団法人化され、まさしく現在の公益社団法人日本化学会が正式に発足した。
昭和28年(1953年)、日本化学会創立75周年に伴い、当時の石油化学の世界的権威者であるアメリカ合衆国のエゴロフ博士(Gustav Egloff)、レッペ合成で知られる西ドイツのレッペ博士(Walter J. Reppe)、有機化学の泰斗英国のロバート・ロビンソン博士(Robert Robinson)を招いて記念式典を開催した。
昭和53年(1978年)には、日本化学会が創立100周年を迎え祝賀式典を開催し、記念事業として「日本の化学百年史」(東京化学同人)、「日本の化学」(化学同人)」を出版する。また、100周年記念としてアメリカ化学会と合同でハワイのホノルルで国際学会を開催している。これがきっかけで環太平洋国際化学会議が5年に一度ずつ開催されている。
日本化学会は2003年に創立125周年を迎えた。2003年(平成15年)3月18日から21日にかけて、第83回春季年会が早稲田大学西早稲田キャンパスで開催された。その2日目にあたる3月19日、キャンパスに隣接する「リーガロイヤルホテル東京」で、天皇・皇后(現在の上皇・上皇后)の臨席のもと記念式典とレセプション、また夕刻から常陸宮正仁親王・正仁親王妃華子の臨席のもと、祝賀会(春季年会懇親会を兼ねたもの)が挙行された。
そのほか文部科学大臣の祝辞の代読者として御手洗康文(文部科学事務次官)や長倉三郎(日本学士院長)や、国外からの来賓としては国際純正・応用化学連合(通称IUPAC)会長、FACS(アジア化学会連合)会長、カナダ化学会代表、中国化学会副会長、フランス化学会会長、ドイツ化学会副会長、イタリア化学会副会長、韓国化学会会長、イギリス王立化学会会長、アメリカ化学会会長、台湾化学会会長が出席した。
さらにロアルド・ホフマン(コーネル大学教授)、李遠哲(カリフォルニア大学バークレー校名誉教授)、ジャン=マリー・レーン(ルイ・パスツール大学)、ハロルド・クロトー卿(サセックス大学、フラーレン発見者)のノーベル化学賞受賞者4名も出席していた。
また記念出版、記念講演会などの行事を行うとともに、その年を「化学の年」として全国各地で化学の普及事業が活発に展開された。
2018年、創立140周年を迎えた。
2022年現在、会員数は約27,000名である。毎年3月下旬に行われる年会(参加人数約9,000~10,000名、講演約6,000件)を開催している。また、下部組織の多くの部会・支部・研究会によって、年間を通じて各種討論会・発表会を開催している。5年毎にハワイで行われる国際学会環太平洋国際化学会議 (PACIFICHEM) を他国の学会と共同で主催している。2016年に中高生会員制度を新たに導入した。
また、通常の受賞制度以外にも、フェロー制度、年会におけるハイライト講演(講演15~23件)の記者発表などの、事実上の表彰制度もある。
会誌として『化学と工業』および『化学と教育』を、学術論文誌として英文誌Bulletin of the Chemical Society of Japanおよび英文速報誌Chemistry Lettersを発行している。
1998年、国際的にも通用する若い化学者を育てることを目的として「化学グランプリ」が開催された。現在は約4,000名の参加者があり本大会で選抜された高校生は、毎年7月に10日間の予定で開催される国際化学オリンピックに参加することができる。 2018年の第50回化学オリンピックでは、代表生徒4名(金メダル1名、銀メダル2名、銅メダル1名)、2019年の第51回では代表4名(金メダル2名、銀メダル2名)を派遣した。2022年に行われた第54回国際化学オリンピック(主催国は中国天津)では2003年の派遣開始以来、初めて日本代表生徒4名全員が金メダルを獲得し、全員が厚生労働大臣による表彰を受けた。
リチウムイオン二次電池開発における革新的な功績により2013年度にThe Global Energy Prize(2002年にロシアが創設したエネルギー分野のノーベル賞と云われる最も権威ある賞)を受賞した吉野彰(旭化成株式会社名誉フェロー、日本化学会名誉会員)が、その報奨金をエネルギー・環境・資源分野の研究活動の活性化のために有効に使いたいとして日本化学会に寄附し、その基金を基として2014年に「吉野彰研究助成事業」を創設した。その後、吉野は2019年にノーベル化学賞を受賞している。
化学遺産(かがくいさん)とは、社団法人日本化学会の化学遺産委員会が日本の化学分野の歴史資料の中でも特に貴重な資料を遺産として認定したものである。これらの資料を次世代に受け継いでいくと共に、化学分野の技術と教育の向上・発展に寄与する事を目的とし、2010年3月に制定された、第1回には6件が認定された。初代委員長には京都大学名誉教授の植村榮、2代目委員長には東京理科大学名誉教授の宮村一夫が就任している。
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