ミラン・バロシュ(Milan Baroš, 1981年10月28日 - )は、チェコ・ズリーン州ヴァラシュスケー・メジジーチー出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはフォワード。
チェコのFCバニーク・オストラヴァでデビュー。2000年のシドニーオリンピックに出場したが、欧州ではほとんど無名の若手選手だった。だが、当時リヴァプールFCの監督だったジェラール・ウリエの目に留まり、2002年に同クラブへ移籍。
2004年、EUROで得点王に輝く。リヴァプールのエースだったマイケル・オーウェンがレアル・マドリードに移籍した後、その後継者として期待され、またジブリル・シセが怪我の為長期離脱した為、フェルナンド・モリエンテス加入までチーム唯一のストライカーであった。モリエンテス加入後は徐々に出場機会を減らしたが、モリエンテスが出場出来ないチャンピオンズリーグ決勝では先発、途中交代で退いた 。2005年にベニテス監督に放出されるような形でアンフィールドを去る事になった。この際、オリンピック・リヨン、バレンシアCF、シャルケ04などビッグクラブが揃ってバロシュの獲得を目指したが、結局はアストン・ヴィラFCへ移籍した。しかしアストン・ヴィラに移籍後は、リヴァプール所属最終年から指摘されていた怠慢なプレーが目立つようになり、期待していた多くのファンの失望を買った。
2007年1月、ヨン・カリューとのトレードでリヨンへ移籍し、再びウリエの指揮下に入ることになった。しかしながら定位置を確保したとは言い難く、監督交代後も同様であった。2008年1月、ポーツマスFCへ期限付き移籍したものの、ここでもインパクトを残せずに終わる。
2008年8月、ガラタサライSKに移籍。2008-09シーズン、チームはスュペル・リグ5位に終わったが、自身は20ゴールを記録して得点王に輝いた。
2009年4月、売春婦とともにレストランで飲食パーティーをしていたとして、トマーシュ・ウイファルシ、マレク・マテヨフスキー、ラドスラフ・コヴァチ、マルティン・フェニン、ヴァーツラフ・スヴェルコシュらとともに代表から追放された。しかし8月12日のベルギーとの親善試合で代表復帰した。
EURO2012後に代表から引退した。
2013年2月13日にガラタサライを退団し、18日に古巣のFCバニーク・オストラヴァに復帰することが決まった。
2015-16シーズンはFKムラダー・ボレスラフでプレー。同クラブ退団後の2016年7月13日、FCスロヴァン・リベレツに加入することが発表された。
2020年7月3日に現役を引退した。
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