レクイエム(ラテン語: Requiem、レクィエムとも表記される)は、ラテン語で「安息を」という意味の語であり、以下の意味で使われる。
同一のラテン語のテクストに多くの作曲家が曲をつけている。モーツァルト、ヴェルディ、フォーレの3作品は特に名高い。常にすべての典礼文に作曲されるわけではなく、たとえば上記の3作品には共に昇階唱がない。
かつて日本では「鎮魂曲」(ちんこんきょく)と訳されたが、レクイエム自体に本来神道の用語である「鎮魂」の意味はないため不適切な訳語として現在は単に「レクイエム」か、もしくは「死者ミサ曲」、「死者のためのミサ曲」などと訳される。
下表は、いわゆる「三大レクイエム」についてどの典礼文に作曲がなされているかをしめしたものである。
またカトリック教会における葬儀ミサの式文は第2バチカン公会議以降の典礼の見直しと一連の改革によって内容が大幅に変化した。以下は典礼改革以前のものである。
(なお、原文と訳文で行数をあわせているが、必ずしも左右で対応していない)
その日のミサの内容を歌うもの。固有文。死者のためのミサでは歌い出しが"Requiem æternam"(永遠の安息を)であるため、ミサ曲全体が「レクイエム」と呼ばれる。
「救憐唱」「憐れみの賛歌」とも。憐れみ深い神への賛歌、あるいは罪人が憐れみを乞う歌。唯一、ギリシア語による。通常文。東方教会で用いる「金口イオアンの聖体礼儀」のうち冒頭などで用いられる「大連祷」を簡素化したもの。(キリエ参照。)
固有文。古い時代のレクイエム(例えば、オケゲムのレクイエム)を除くとGradualeと次のTractusは省略されるのが通常だが、著名なものではケルビーニとドヴォルザークに見受けられる。
固有文。例えば、オケゲムのレクイエムに見られる。
固有文。最後の審判を歌ったもの。チェラーノのトマスの作。トリエント公会議で公認された4つの続唱のうちのひとつ。第2バチカン公会議における典礼の刷新で「死後の恐怖を不必要に強調することはキリスト教本来の思想から外れている」ことと、「葬儀は、キリスト信者の死の復活的性格をより明らかに表現」(『典礼憲章』第81条)するという理由でこの続唱は除かれ、三部に分けられ、教会の祈り(聖務日課)の賛歌となっている。またその歌詞は三行を一単位として脚韻を踏んでおり(aaa, bbb)、典礼文の傑作と言われる。なお「怒りの日」は Dies Iræ ... Amen. まででひとつの典礼文であるが作曲の便宜上以下のように細分されることがある。フォーレのものはこれが省略される。
この続唱のテキストには、最終戦争、火による浄化、最終審判など、キリスト教というよりも、むしろゾロアスター教、マヅダ教などイラン起源の二元論宗教の影響が色濃く認められる。
司祭がパンとぶどう酒を捧げる時に歌われる。固有文。
「感謝の賛歌」「三聖唱」とも。神を賛美し感謝する聖歌。通常文。
「平和の賛歌」「神羔唱」とも。聖体変化したパンを切り分ける際に歌い、神の小羊であるキリストに世の平安を祈る聖歌。通常文。ただし死者のためのミサでは歌詞の一部が変更される(「我らに平和をお与えください」"dona nobis pacem"→「彼らに永久の安息をお与えください」"dona eis requiem sempiternam")。このため、「平和の賛歌」の意味が薄れていた。第二バチカン公会議による典礼の刷新後は、いずれも、通常の結びのことば、「われらをあわれみたまえ」「われらに平安をあたえたまえ」に改訂されている。
聖体となったパンとぶどう酒を拝領する際に歌われる。死者が永遠の光に照らされることを神に祈る聖歌。固有文。死者ミサの聖体拝領唱は冒頭を取り Lux æterna とも呼ぶ。
ミサの終了後の赦祷式(Absolutio ad Tumbam)で歌われる。ミサには含まれないが、葬儀に関連するため、曲がつけられることがある(フォーレ、ヴェルディ等)。通常のミサで使われる嘆願(Libera nos)と区別するため Libera meと呼ぶことが多い。
出棺、埋葬時に歌われる。ミサには含まれないが、葬儀に関連するため、曲がつけられることがある。(この歌での「あなた」は死者を指す)
(生誕年順)
(以下3つは英語による"funeral service")
(生誕年順)
先述の概論3に当てはまるものが多い。
Owlapps.net - since 2012 - Les chouettes applications du hibou