『あゝ野麦峠 新緑篇』(ああのむぎとうげ しんりょくへん)は、1982年製作の日本映画。前作『あゝ野麦峠』の興行的成功を受けての続編。製作は新日本映画から東宝映画に変わったが、山本薩夫が東宝本体(東宝映画は砧撮影所拠点の東宝100%子会社。1972年以降本体は直接製作を行っていないため、同社や東宝映像の作品が事実上本体製作に準ずる)で映画を撮るのは、『戦争と平和』以来35年ぶりのことで話題になった。ただ興行成績は前作に遠く及ばなかった。
前作の予想外の大当たりで、新日本映画の持丸寛二社長も、続編もやろうではないかと乗り気で、製作を正式に決定し、公表はされなかったが、内々で準備を進め、山本薩夫監督にも声をかけ、キャスティング等、ある程度進んでいた。
内容は前作が明治時代末期だったのに対して、続編は大正末期から昭和初期にかけて信州岡谷で起きた「山一争議」を中心に進めようとしていた。山本監督も「女工哀史」を1本の映画で描くのは難しいと話していたことから、続編の製作は当然といえた。ところが製作決定から2ヵ月経ったところで持丸が急に製作をストップさせ、中止を正式に決定した。その理由をはっきりとは公表されなかったが、内部情報によれば、持丸が「興味がなくなった」と言っていたといわれる。曰く因縁のあった幻の企画を実現させたエネルギーはもうなく、「商売にならない」と踏んだのではと映画関係者は見ていた。東宝映画としても自社向きの映画で、渡りに船とばかり、製作も担当することになり、東宝の番線映画となった。
製作決定時に「前作より女優陣をガラリと変え、舞台を明治から昭和初期へ移し、"女の自立の映画"になる予定」と公表された。製作会社は変ったが、前述のように当初から予定していた「山一争議」を扱う内容になった。新日本映画は代わりに『南十字星』を製作している。
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