小塚 和季(こづか かずき、1994年8月2日 - )は、新潟県見附市出身のプロサッカー選手。Kリーグ1・水原三星ブルーウィングス所属。ポジションはミッドフィールダー。マネジメント会社はエースポーツクリエイション。
Kリーグ時代の登録名はカズキ(ハングル: 카즈키)。
地元のサッカークラブである見附FCのコーチを務めていた父親の影響でサッカーを始める。アルビレックス新潟のJ1昇格を見て「地元で活躍したい」と夢を持った。12歳の頃には「サッカーの強い高校に入り、Jリーグへ行き、日本代表になる」と夢を語っていた。中学時に所属していた長岡JYFCでは、フットサルの全国大会で優勝した経験を持つ。この頃共に選抜チームに選ばれ、後にチームメートとなる川口尚紀を、それ以来ずっとライバル視していた、と後に語っている。帝京長岡高校2年次に北信越プリンスリーグ1部で得点王を獲得。3年次にはU-18日本代表のスロバキア遠征に参加した ほか、第91回全国選手権に出場し、新潟県勢28年ぶりとなるベスト8に進出した。3回戦鹿児島城西高校戦では、遊び心溢れるプレーで3得点に絡み、この試合のマン・オブ・ザ・マッチに選出されている。
帝京長岡高校在学中の2012年にアルビレックス新潟から春季キャンプ参加の招待を受け、同年4月に特別指定選手へ登録。背番号34を与えられた。早い段階から周囲の評価は高く、大井健太郎、三門雄大は小塚を「天才」と呼び、内田潤は「新潟から出してはいけない」と語っていた という。同年11月に翌年入団の仮契約を結び、2013年より正式に新潟へ入団した。加入後は主にボランチを務めていたが、「最初は何をしても上手く行かなかった」と1年目は公式戦出場無しとプロの壁に当たった。
2年目の2014年7月にJFL(当時)所属のレノファ山口FCへ期限付き移籍。左サイドハーフやフォワードなど攻撃的なポジションを多くこなし、山口のJ3リーグ参入に貢献。翌2015シーズンも山口への期限付き移籍期間を延長したが、監督の上野展裕の指示でこの年はボランチへコンバート。出場停止の3試合を除く33試合に出場を果たすなど、中心選手として攻撃を牽引し山口のJ3優勝・J2昇格に貢献した。
「本来自分の持っている感覚を取り戻せた」と自信を持って2016年、新潟に復帰をしたが 、同年はリーグ戦6試合・カップ戦5試合の出場に留まった。出場機会を求め、2017年シーズンに山口へ再度期限付き移籍。シーズン途中で監督が上野からカルロス・マジョールへ交代するなど難しいシーズンを送ったが、チームの攻撃のキーマンとして39試合に出場。チーム最多の8得点を挙げた他、6アシストを記録するなどオフェンス面でハイパフォーマンスを発揮した。12月にはドイツ2部のフォルトゥナ・デュッセルドルフの練習に5日間参加した。
2017年シーズンを以て新潟を退団し(山口への期限付き移籍も満了)、2018年はヴァンフォーレ甲府に完全移籍。シーズン開始時は吉田達磨、途中からは上野展裕 と共にかつて指導を受けた指揮官の元で、ベテラン頼みの体質が改善されたチームの中心の一人としてプレーをした。
2019年、J1に昇格した大分トリニータに完全移籍。開幕からスタメンの座を勝ち取ると、リーグ戦33試合に出場。主に3-4-2-1システムの2シャドーの一角として、藤本憲明・オナイウ阿道らFW陣を活かす中継点として役目を果たした。同年オフには浦和レッズから獲得オファーを受けたと報道されたが、大分に残留した。
2020年も主力の一角として期待されたが、監督の起用方法と自身のコンディション不良が重なり、出場機会を減らし、リーグ戦8試合の出場に留まった。
2021年、川崎フロンターレに完全移籍。シーズン序盤は出番は無かったものの、4月14日のアビスパ福岡戦で初出場。ACLの北京FC戦にて初ゴールを記録。しかし自身でも課題と上げている守備の部分の不安定さもあり、定位置の確保とはならなかった。リーグ戦5試合の出場でプレー時間も72分に留まった。
2022年、前年からの課題であった守備面の改善が見られてきた事により、ベンチ入りや出場機会が増えていった。しかし5月21日のサガン鳥栖戦で先発した試合でハーフタイムで退くと、出場機会が激減。度々ベンチ入りするものの出場機会は訪れず、次に出場したのは10月8日の清水エスパルス戦であった。2022シーズンも定位置確保とはならなかったが、昨シーズンから出場試合と時間を伸ばし、リーグ戦12試合の出場でプレー時間は276分の出場となった。
2023年、背番号を17番から49番に変更した。
2023年7月6日、水原三星ブルーウィングスへの完全移籍が発表された。
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