岡 譲司(おか じょうじ、1902年5月25日 - 1970年12月17日)は、日本の俳優である。本名は中溝 勝三(なかみぞ かつぞう)。旧芸名は美濃部 進(みのべ すすむ)、岡 譲二(読み同じ)。
1902年(明治35年)5月25日(日曜日)、東京府東京市京橋区越前堀(現在の東京都中央区新川)に生まれる。祖父は佐賀藩の勘定方を務め、父は三十五銀行(現在の静岡銀行)の頭取であったというが、氏名などは不明である。
画家志望であったが、立教大学商科に進学、同学を卒業し、日本蓄音器商会(現在の日本コロムビア)広告宣伝部に入社する。同社で同部長に昇進したが、日活宣伝部員の友人の誘いを受けて退社、満26歳である1929年(昭和4年)初頭に日活太秦撮影所現代劇技芸部に入社、同年2月8日に公開された『栄冠』で映画界にデビューとされるが、前年の1928年(昭和3年)9月27日に公開された池田富保監督による大作『維新の京洛 竜の巻 虎の巻』に、島津久光役で出演しており「美濃部 進」の名ですでにクレジットされている。同社では、おもに現代劇に出演、1929年7月6日に公開された徳永フランク監督の『赤い灯青い灯』で主演に抜擢される。
1931年(昭和6年)、宝塚少女歌劇団出身の女優、澤蘭子と恋愛および失踪事件を起こし、同年10月1日に公開された池田富保監督の『殉教血史 日本二十六聖人』に出演したのを最後に、2人とも退社を余儀なくされた。澤蘭子はすでに同年4月に東京の松竹蒲田撮影所に移籍していたが、同社では、同年10月、鈴木傳明、岡田時彦、高田稔らが退社して独立、不二映画社設立の事態となっており、宝塚の経営者・小林一三の尽力もあって、岡も同社に入社する。蒲田入社と同時に「岡 譲二」と改名した。当時の所長、城戸四郎が好きな洋酒の「ジョニー・ウォーカー」をもじって命名したとのことである。同社では、田中絹代、初代水谷八重子らと次々に共演、サイレント映画からトーキーの時代に突入し、岡の美声が評判となり、数年のうちに蒲田のスターとなる。とりわけ野村芳亭監督には重用されたが、1934年(昭和9年)8月15日に公開された『街の暴風』を最後に、同月23日、野村が急逝してしまう。同年、同社を退社、協同映画を設立する。
協同映画を解散した1935年(昭和10年)、日活多摩川撮影所に入社する。1936年(昭和11年)1月30日に公開された、入江プロダクション製作、阿部豊監督の『白衣の佳人』に出演した後、同月、初めての徴兵を受け、大日本帝国陸軍少尉として3週間入隊した。原職に復帰して、同年4月8日公開、千葉泰樹監督の『恋は雨に濡れて』に出演、その後1937年(昭和12年)1月14日に公開された『検事とその妹』に主演したのを最後に、同作の監督の渡辺邦男とともに同社を退社、京都のゼーオー・スタヂオ、さらにはP.C.L.映画製作所へと同時に移籍して行く。同年9月10日の両社の合併による東宝映画の設立に際しては、継続的に入社し、P.C.L.のスタジオの後身である東宝映画東京撮影所(現在の東宝スタジオ)に所属した。このころ、澤蘭子との内縁関係を解消し、翌1938年(昭和13年)、新橋の名妓と呼ばれた秀菊(本名・田中都美子)と結婚した。1939年(昭和14年)には、2度目の徴兵を受けて、1年間、大日本帝国陸軍少尉として働き、同年12月29日公開、滝沢英輔監督の『御存知東男』で映画界に復帰した。当時の岡の言によれば「私淑する俳優」は、コンラート・ファイト、ヴェルナー・クラウス、ポール・ムニであるという。
1944年(昭和19年)8月、3度目の徴兵を受けて大日本帝国陸軍中尉として、台湾の基隆に駐屯、台北で終戦を迎えた。第二次世界大戦終結後は、1946年(昭和21年)3月10日に復員して東宝に復帰、同年8月1日に公開された渡辺邦男監督の『命ある限り』で映画界に復帰した。東宝争議の勃発を受けて、1947年(昭和22年)、大映と契約を結ぶ。1954年(昭和29年)7月6日に公開された、安田公義監督の『関八州勢揃い』への出演を機に「岡 譲司」と改名した。晩年は妻とは離婚し、子は妻の姓を名乗っており、画廊を経営していたという。
1970年(昭和45年)12月17日、高血圧による心臓病を病み、東京都渋谷区代々木の病院で死去した。墓所は青山霊園にある。長女は第12期大映研修生、長男は真山譲次の芸名で、青年期の一時期、俳優として活動した。
明智小五郎と金田一耕助両者を演じた数少ない役者である(ほかに演じたのは小野寺昭、稲垣吾郎)。
特筆以外すべてクレジットは「出演」である。公開日の右側には役名、および東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)、マツダ映画社所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す。同センター等に所蔵されていないものは、とくに1940年代以前の作品についてはほぼ現存しないフィルムである。
すべて製作は「日活太秦撮影所」、すべて配給は「日活」、すべてサイレント映画である。すべて「美濃部進」名義。
特筆以外すべて製作は「松竹蒲田撮影所」、すべて配給は「松竹キネマ」、特筆以外すべてサイレント映画である。すべて「岡譲二」名義。
製作は特筆の通り、すべて配給は「日活」、すべてトーキーである。
特筆以外すべて製作は「日活多摩川撮影所」、すべて配給は「日活」、以降すべてトーキーである。
特筆以外すべて製作は「東宝映画東京撮影所」、すべて配給は「東宝映画」である。
特筆以外すべて製作は「大映京都撮影所」、すべて配給は「大映」である。
すべて製作・配給は「新東宝」である。
特筆以外すべて製作は「東映京都撮影所」、すべて配給は「東映」である。
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