不忍池(しのばずのいけ)は、上野恩賜公園(東京都台東区)の中に位置する天然の池である。
上野恩賜公園の南端に位置し周囲は約2km、全体で約11万m2。北で上野動物園西園、東で京成上野駅、南と西で不忍通りに接している。
現在の不忍池は、その中央に弁才天を祀る弁天島(中之島)を配している。また、池は遊歩のための堤で3つの部分に分かれており、それぞれ、一面がハスで覆われる蓮池、ボートを漕いで楽しむことのできるボート池、上野動物園の中に位置しカワウが繁殖している鵜の池の3つである。各池の詳細は以下の通りである。
弁天島に建つ石碑によれば、「不忍池」の名は、かつて上野台地と本郷台地(向ヶ岡)の間の地名が忍ヶ丘(しのぶがおか)と呼ばれていたことに由来するとのことである。
ただし、異説もあり、周囲に笹が多く茂っていたことから篠輪津(しのわづ)が転じて不忍になったという説(『新編武蔵風土記稿』『神代余波』)、ここで男女が忍んで逢っていたからという説(『望海毎談』)や、上野台地が忍が岡と呼ばれていたことにたいして不忍池と命名された説(『江戸妙子』『江戸名所図絵』)もある。 15世紀頃には既に「不忍池」という名で呼ばれていた。
かつて、旧石神井川が武蔵野台地の東端を割って谷を作り、海ぞいの低地へと注ぎ出ていた開口部に位置する。東岸にあたる上野台地(いわゆる「上野のお山」)や西岸にあたる本郷台地(東京大学の立地する台地。南は神田山(駿河台)へと連なる)に比べると、10m以上も標高の低い谷あいになっている。
縄文海進時は、東京湾の入り江だった。その後、海岸線の後退とともに取り残され、紀元数世紀頃に池になったと考えられる。
江戸時代より前は、不忍池からの南流があり、於玉ヶ池を経て、現在の東京湾へ注いだ(旧石神井川河道と同じ)。江戸時代には、不忍池から忍川が東流し三橋を通り上野広小路を横切り三味線堀へ繋がり、鳥越付近で隅田川へ注いだ(鳥越川)。
1625年、江戸幕府は、西の比叡山延暦寺に対応させ、この地に寛永寺を建立した。開祖である慈眼大師・天海は、不忍池を琵琶湖に見立て、竹生島になぞらえ、弁天島(中之島)を築かせ、そこに弁天堂を建設した。当初の弁天島は文字通り船で渡る島でだったが、1672年に弁天島から東に向かって石橋が架けられ徒歩で渡れるようになった。
慶応4年(1868年)、彰義隊の戦い(上野戦争)で、東叡山寛永寺は根本中堂はじめ幾多の伽藍を焼き払われて落城した。戊辰の役における江戸で唯一の戦争で、当日の朝、官軍が放った一発の砲弾が不忍池に落ちて、水しぶきをあげたのが戦闘の引き金だったという説がある。
明治時代の初期までの池の形は現在のものとはかなり異なっていた。特に池の北側は今よりもかなり広く、藍染川(谷田川)も注いでいた。また、弁財天の中島への両側は家が建ち並び、明治5年(1872年)4月には不忍天竜町という町名さえ起立されていた。上野の山が公園に指定されたのに伴い、1875年に不忍池も公園に編入された。このときの面積は18ヘクタール、1989年当時に対して1.7倍の広さだった。しかし1884年、共同競馬会社による競馬場の建設に伴い、埋め立てが行われ、ほぼ現在の形が出来上がった。池を周回する形で作られた競馬場で同年11月には天皇臨席のもと第1回の競走が行われ、以降1892年まで春と秋に競馬が行われた。
1907年には、東京勧業博覧会のため、西に向かって観月橋がかけられ、池の中央を横断できるようになった。
1929年に、築堤工事により池が4つに分割された。また1931年には、現在まで続く貸しボートの営業が開始された。現在、鵜の池になっている範囲は当時は2つの池に分かれていた。戦後の一時期は水が抜かれて水田(不忍田圃)となり、その跡地には野球場を建設する案なども出されたが、1949年に池のまま保存することで合意され、現在に至る。
1967年9月19日には、不忍池と地下鉄千代田線の建設現場を仕切る柵が崩れ、約3万トンの水がトンネルに流れ込む事故が起きている。復旧作業は速やかに行われて同月24日は水を入れ直した。1990年から1994年にかけては水質浄化のため東京都建設局によって層流多循環システム、曝気噴水ポンプ、生物酸化処理膜の設置などが集中的に行われた。
不忍池では、渡り鳥・留鳥あわせて数十種類の鳥類が見られ、多い時には1万羽を超えることもある。1960年頃から多数のカモ類が飛来するようになり、オナガガモ、ホシハジロ、キンクロハジロ、ヒドリガモ、ハシビロガモなどカモの池として有名であったが、近年カモは数を減らし、変わってユリカモメやセグロカモメなどが多くやってくるようになった。
不忍池で繁殖する水鳥はバン、カイツブリ、カワウ、カルガモなど。 上野動物園の園内扱いになる部分にはカワウの島もある。不忍池のカワウは昭和30年代に動物園が飼っていたものを羽を切って池に放したのが始まりで、これに野生のカワウが合流した。カワウの繁殖地は日本でも数か所で、都会にあるのは世界中でもここだけである。
カムルチー、タウナギ、ティラピアなど外来魚が多い。在来の水生動物にはフナ、モツゴ、ドジョウ、ヌマエビ、テナガエビなどがいる。特に多いのが鯉である。
ボート池を除く部分にはハスの繁殖が著しく、毎年夏になると池の南部はほぼ埋め尽くされる状況である。江戸時代には色とりどりの花のハスが植えられていたと言われるが、現在では桃色のジバスと白の明鏡蓮との二系統だけである。 秋には白いアシが池一面に広がる。
2006年6月に不忍池で特定動物である産卵中のワニガメが発見され、自然繁殖している可能性が指摘された。この事件以来、ボート池の周辺にカミツキガメ、ワニガメの危険性を訴えるポスターが貼られ周囲が網で覆われている。
不忍池の中央にある弁天島にはユニークな石碑が多いことで知られる。以下のようなものがある(時計周りの配置順)。
そのほか不忍池周辺には以下のものがある。
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