池上 季実子(いけがみ きみこ、1959年1月16日 - )は、日本の女優・タレント。本名:臼井 季実子。
アメリカ・ニューヨーク生まれ、京都府京都市育ち。堀越高等学校卒業。祖父は歌舞伎役者の八代目 坂東三津五郎、叔父は九代目 坂東三津五郎、従兄は十代目 坂東三津五郎。身長156cm(1976年4月)。
商社勤務の父と歌舞伎役者の八代目 坂東三津五郎の次女である母のもと、アメリカ・ニューヨークで誕生。父の仕事の関係でニューヨーク・マンハッタンで3歳まで暮らし、帰国後は京都市内の吉田神社にほど近い母方祖父の家に住んだが、これは、京都と東京の2拠点に家を構え活躍していた八代目三津五郎が、次第に東京での活動が中心となり、京都宅には年に1~2度しか滞在できないほど留守がちとなったことによる。季実子は三津五郎の孫であるにもかかわらず、実父の方針により、芸事や習い事を一切禁じられて育った。小学校を卒業後、両親の別居に伴い母・弟とともに東京へ転居し、中学・高校時代を東京で過ごした。
叔父は歌舞伎役者の九代目 坂東三津五郎で、従兄には五代目 坂東八十助(後の十代目 坂東三津五郎)がおり、中学時代は頻繁に五代目八十助宅に泊まりに行くなど「お兄ちゃん」と呼んで親しくしていた。十代目三津五郎の薦めで女優の道へと進む。中学2年生の時に五代目 八十助主演の少年ドラマシリーズ「姉弟」の収録の見学に誘われて、NHKのスタジオに訪れた際に、スタジオ内でプロデューサーから「次のドラマの主役とかやってみる?」とスカウトされ、1974年にNHKの少年ドラマシリーズ『まぼろしのペンフレンド』でデビューする。同年の東京12チャンネル『純愛山河 愛と誠』への出演により知名度が特に上昇、以後、数々のドラマ・映画に出演。憂いを感じさせる表情と大人びた色気により愛憎のドラマを演じるのが上手であった。
玉川学園中学部・高等部から堀越高等学校へ転入し、1977年に同校を卒業。堀越高校の同級生には岡田奈々、森昌子、岩崎宏美らがいた。
時代劇では『草燃える』を皮切りに、ヒロイン役(もしくはそれに準じる役柄)で出演した(前3作は狂気を帯びた破滅的なキャラクターだった)。
1984年の『陽暉楼』で第7回日本アカデミー賞優秀主演女優賞、1989年の『華の乱』で第12回日本アカデミー賞優秀助演女優賞をそれぞれ受賞。この頃テレビドラマではほぼ主演を務め、女優として絶頂期を迎える。
1990年代からは2時間ドラマに主軸を移す。
2010年1月1日付けでオスカープロモーションへ移籍。デビュー40周年となる2014年に自叙伝『向き合う力』を出版。
2018年末にオスカープロモーションを退社、独立し、個人事務所「オフィス アップス」を設立。
私生活では、1985年に古美術商を営む10歳年上の一般男性と結婚。婚姻発表をしていなかった理由は「それ以前のマスコミによる嘘の交際報道により深く傷つき、マスコミ不信になっていたから」と後に告白。1女を出産した後、3年あまりの結婚生活を経て、離婚した。
2022年には8月に、ほぼ同時期に両親を亡くしたことを明かしている。
2024年3月、2年前にコロナウィルスに感染し九死に一生を得たことを初告白した。
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