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新宿オデヲン座


新宿オデヲン座


新宿オデヲン座(しんじゅくオデオンざ)は、かつて存在した日本の映画館である。1951年(昭和26年)11月、東京都新宿区歌舞伎町、現在の「第二東亜会館」の場所に開館、1955年(昭和30年)12月に「グランドビル」の新築・落成とともに同ビルにグランドオデヲン座(グランドオデオンざ)、ニューオデオン座(ニューオデオンざ)が新規開館、のちに新宿オデヲン座は同ビル地下に移転した。2009年(平成21年)11月30日、全面閉館、土地・建物はのちに売却された。

本項では第一東亜会館(だいいちとうあかいかん、かつてのグランドビル)、および同会館に存在したすべての映画館についても詳述する。

沿革

  • 1951年11月 - 歌舞伎町に新宿オデヲン座を開館
  • 1955年12月 - 「グランドビル」新築・落成、グランドオデヲン座およびニューオデオン座を開館
  • 1959年4月 - 新宿オデヲン座を「グランドビル」地下に移転
  • 1975年12月 - 「グランドビル」を「第一東亜会館」として新装開場、新宿アカデミー劇場を開館
  • 1982年12月 - 「第一東亜会館」内に新宿オスカー劇場を新装開館
  • 2009年3月 - 隣接する「第二東亜会館」内の新宿トーアを閉館
    • 同年9月23日 - 新宿オスカー劇場を閉館
    • 同年11月30日 - 「第一東亜会館」を全面閉館、グランドオデヲン座・新宿アカデミー劇場・新宿オデヲン座を閉館
  • 2012年9月 - アパグループに「第一東亜会館」跡地を売却
  • 2015年9月30日 - 跡地に「アパホテル新宿歌舞伎町タワー」開業

データ

  • 開館時所在地 : 東京都新宿区歌舞伎町879番地
    • 現在の東京都新宿区歌舞伎町1丁目21番1号 (跡地に第二東亜会館)
    北緯35度41分43.19秒 東経139度42分5.01秒
  • 観客定員数 : 840名(1959年)
  • 移転後所在地 : 東京都新宿区歌舞伎町511番地
    • 現在の東京都新宿区歌舞伎町1丁目20番2号 (のちの第一東亜会館、現況は「アパホテル新宿歌舞伎町タワー」)
    北緯35度41分44.73秒 東経139度42分4.17秒
  • 観客定員数 :
    • 新宿オデヲン座(地下1階) : 360名(2001年)
      • ニューオデオン座(地下1階) : 500名(1959年)
    • グランドオデヲン座(1階) : 1,200名(1959年) / 406名(2001年)
    • 新宿アカデミー劇場(2階) : 420名(2001年)
    • 新宿オスカー劇場(5階) : 325名(2001年)

概要

第二次世界大戦後、かつて東京府立第五高等女学校(移転して現在の東京都立富士高等学校)のあった地区、東京都新宿区歌舞伎町を開発することになり、林以文(のちのヒューマックス創業者)が、1947年(昭和22年)12月、歌舞伎町753番地に新宿地球座を新築・開館、同地区進出第1号となったが、第2号として、1949年(昭和24年)8月に阿佐谷オデヲン座を開業していた高橋康友の東亜興行が、1951年(昭和26年)11月、歌舞伎町879番地に開業したのが、最初の新宿オデヲン座であった。新宿オデヲン座が開業した場所は、新宿地球座(のちの地球会館)の並びであり、現在の「第二東亜会館」の位置にあたる。同年、歌舞伎町には隣接して東京急行電鉄が東京スケートリンクが開場、2年後の1953年(昭和28年)1月2日には、歌舞伎町879番地に林以文が新宿劇場を新築・開館したが、まだ新宿コマ劇場の位置は野原であった。

1955年(昭和30年)12月、東亜興行は、最初の新宿オデヲン座からみて広場を挟んで斜め向かい、新宿劇場の並びにあたる歌舞伎町511番地に「グランドビル」を新築・落成、1,200名の収容人員を誇るグランドオデヲン座(1階)、および500名規模のニューオデオン座(地下1階)を開館した。同ビルには映画館のほか、5階に「キャバレーオデヲン」があり、レジャービルの草分けとなる。1959年(昭和34年)4月、新宿オデヲン座を開業地から「グランドビル」地下に移転、「グランドビル」の映画館はグランドオデヲン座、新宿オデヲン座の2館になった。新宿オデヲン座移転後の跡地では、このときダンスホール「新宿ステレオホール」、パチンコパーラー「オデヲンゲームセンター」も開業、その後、1969年(昭和44年)4月には「第二東亜会館」として生まれ変わり、同館内に映画館として歌舞伎町東映劇場(のちの新宿トーア)、新宿ゲームセンター、新宿トーアボウルを新たに開業している。

1975年(昭和50年)12月、「グランドビル」を「第一東亜会館」として新装開場、2階に新宿アカデミー劇場を開館、1階のグランドオデヲン座の規模を縮小した。1982年(昭和57年)12月、「第一東亜会館」5階に新宿オスカー劇場を新装開館した。長野県上田市に本社を置く酒造メーカー「和田龍酒造」の社長を務める和田澄夫は、大学在学中の1984年(昭和59年)7月14日に公開した『愛情物語』(監督角川春樹)と『メイン・テーマ』(監督森田芳光)の2本立てをグランドオデヲン座で観たという。1990年(平成2年)1月3日、東亜興行の創業者・会長の高橋康友が死去した。

2009年(平成21年)3月、新宿オデヲン座等がある「第一東亜会館」に隣接する、「第二東亜会館」内の映画館・新宿トーア(かつての歌舞伎町東映劇場)を閉館、同年9月23日には「第一東亜会館」5階の新宿オスカー劇場を閉館した。同年11月30日には、「第一東亜会館」を全面閉館、したがって、同日をもって、グランドオデヲン座、新宿アカデミー劇場、新宿オデヲン座をすべて閉館した。これをもって、東亜興行は歌舞伎町における映画興行から、完全に撤退した。「新宿ステレオホール」はある時点で「第一東亜会館」7階に移転していたが、これも閉館した。撤退の背景には、観客数の減少と築50年を超える「第一東亜会館」の老朽化があり、同年5月31日にはヒューマックスグループが「新宿ジョイシネマ1・2・3」、前年2008年(平成20年)11月8日に新宿コマ劇場(新宿コマ東宝・新宿プラザ劇場)を閉館しており、わずか1年の間に歌舞伎町地区から10館の映画館が消滅した。東亜興行の本社も同ビルに置かれていたが、杉並区上荻1丁目の荻窪東亜会館を経て、2016年(平成28年)現在は吉祥寺オデヲン内に社長室・総務部が置かれている。

「第一東亜会館」跡地については、以降は閉鎖され、2012年(平成24年)9月28日には、アパグループが同地を取得したことを発表、2015年(平成27年)9月30日、同地に「アパホテル新宿歌舞伎町タワー」がグランドオープンした。

第一東亜会館

ビル名は「グランドビル」に始まり「トーアファースト」とも呼んだ。2009年11月30日閉館・閉鎖、2012年解体・売却。

脚注

Collection James Bond 007

参考文献

  • 『映画年鑑 1991』、時事映画通信社、1991年
  • 『映画年鑑 2001 別冊 映画館名簿』、時事映画通信社、2001年
  • 『映画館のある風景 昭和30年代盛り場風土記・関東篇』、キネマ旬報社、2010年3月26日 ISBN 4873763258

関連項目

  • 李康友
  • 東亜興行
  • 歌舞伎町
  • 横浜オデヲン座 - 東宝関東興行経営(1911年開館時は平尾榮太郎個人経営)
  • 藤沢オデヲン座 - 湘南オデヲン経営(1935年開館時は野内彦太郎個人経営)
  • アパホテル
  • 新宿TOKYU MILANO

外部リンク

  • データベース 写真で見る新宿 - 新宿歴史博物館(『歌舞伎町(二幸屋上から歌舞伎町街方向)』1961年4月、写真ID : 2191 / 『歌舞伎町(コマ劇場)』1957年、写真ID : 2257)
  • TOA KOGYO - 経営元の公式ウェブサイト

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 新宿オデヲン座 by Wikipedia (Historical)