グスク(御城)もしくはスク(城)とは、南西諸島の内、沖縄地方領域である奄美群島(鹿児島県)から八重山諸島(沖縄県)の沖縄弧とも呼ばれる地域にかけて、多数存在するグスク時代の遺跡。本土の戦国時代の城とは異なり、戦いに備えた建築物とは限らず、館や拝所であったと考えられるものもあり、地域、時期、により形態や呼び方に違いがある。三山時代には王や按司の居城となっていた。
グシク、グスクは、古くは具足(日本で言う甲冑や鎧・兜、あるいは馬具や仏具)の字が当てられており、その意味は日本本土でいうところの「城」に相当するものとされ、琉球でもグスクに「城」の文字を当てている(奄美では「城」はキズキとも読む)が、学説的には、本土のように単に軍事拠点として作られたものとは考えられていない。
但し奄美群島においては、グスクに相当するものは古くはモリ、ハラなどと呼ばれており、グスクと呼ばれるようになったのは琉球による奄美征服以降の後世であり、最初から軍事拠点であったとの指摘もなされている。
ほか地方により、スク、シク、シュク、ゴスコとなる場合もある。
奄美・琉球においてグスクと呼ばれるものには陵墓の意義もあるとされる。
グスクの起源には様々な説がある。
沖縄本島以南では早くから野積みの石垣が使われているが、その構築技術は極めて高く、マチュ・ピチュの石造技術と比較されることもある。沖縄本島北部の一部や奄美群島では石垣を用いない「土のグスク」もある。また古いグスクには必ず、その中に御嶽があるともいわれ、奄美群島では未調査のものが多いものの大半がその痕跡を確認できるという。
2000年(平成12年)12月2日、以下に示したグスクの遺構のうち、今帰仁城跡、座喜味城跡、勝連城跡、中城城跡、首里城跡は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」を構成するグスクとして世界遺産に登録された。今帰仁城、座喜味城、勝連城、中城城は三山時代から琉球王国成立期にかけて造営されたものであり、首里城は琉球統一王朝成立後、尚氏がその居所と統治機関を置くために築かれたグスクであった。これらのグスクの城壁は、おもに珊瑚石灰岩によって営まれていた。
(出典)
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