浦添市(うらそえし、沖縄語: ウラシー)は、沖縄本島の南部地域と中部地域の境目にある市で、琉球王国の古都。那覇市、沖縄市、うるま市に次ぐ沖縄県第4の都市である。
全国的にも高い出生率で、那覇市と隣接するため人口増加が著しく、人口密度は5,868 人/km2(2016年2月29日現在)と県内では那覇市に次いで2番目に高い。なお、市の総面積の14.3%を治外法権の米軍基地で占められており、その面積を除くと人口密度は6,828 人/km2(2016年2月29日現在)となる。県内でも有数の商業、工業が活発な市である。
琉球王朝発祥の地であり、「津々浦々をおそう(諸国を支配する)」という意味で、それが「ウラオソイ」、されに転じて「ウラシイ」となり、現在のような「浦添」の文字が与えられたとされている。また源為朝の妻子が、都に戻った夫を待ち続け住んでいた港が「待港」と呼ばれ、のちに転訛したのが「牧港」である。
12世紀から14世紀の約220年間、浦添城(現在は浦添城址)を中心に琉球王国の首都として栄えた。その時の王「英祖王」の父が太陽であったという伝説があり、それにちなんで沖縄の方言で太陽を意味する「てぃだ」と、その太陽の子供を意味する「こ」を合わせ「てだこ」と呼ばれる。それにより別名「てだこの街」と呼ばれることもあり、行事などにもその名称をつけることが多い。
沖縄戦では同市から宜野湾市にかけて、中央司令部であった首里城を守るため攻防戦がはられたため激戦地となった。戦後、西海岸地区は米軍基地となっている。
また、2004年1月に「ハンドボール王国都市宣言」を行い、市内の全公立小中学校にハンドボール部があるなど、日本でも有数のハンドボールの盛んな土地である。
沖縄本島の南側に位置し、東シナ海に面する西海岸沿いにあって、南は那覇市、北は宜野湾市、東は西原町と2市1町と接している。市域(飛地を含む)は、東西8.4 km、南北4.6 kmで、北を頂点として南西と南東に広がった扇状の形をしている。総面積は、2000年(平成12年)9月に西洲二丁目のふ頭用地の埋立0.06 km2が、告示編入されたため19.09 km2となった。西側の東シナ海と接しているところはアメリカ海兵隊の兵站基地「牧港補給地区(英: Camp Kinser)」が占めている。また浦添ふ頭・沖縄県中央卸売市場として使用されている伊奈武瀬地区は飛地である。
歴史は古く、13世紀ごろに登場する英祖王統の中心地として栄え、14世紀末に察度王統が尚巴志王によって滅ぼされるまで中山王国の首都であった。
太平洋戦争中の1944年(昭和19年)に日本陸軍沖縄南飛行場(別称、仲西飛行場、又は城間飛行場)が建設されるが、米軍の攻撃と上陸に合い飛行機が一機も飛び立つ事も無く放置されて沖縄戦を終えた。 その後、米軍が同飛行場を占拠後、牧港補給基地(通称、キャンプキンザー)を建設して、21世紀の現在も基地として使用している。
戦後、那覇市のベッドタウンとなり人口が急激に増加。1970年に浦添村から町を経ずに浦添市となり、1998年1月に人口10万人を超えた。
浦添市では、一部の区域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。
総領事館
2004年1月に英語教育特区の認定を受けて、同年4月より小学校に英語科を特設し、小学校1年生から中学校3年生までの義務教育の9年間を見据えた英語教育を推進している。
市では1979年のハンドボール九州大会で中学男子の優勝を皮切りに、小中学校の全国制覇を約40回、準優勝を合わせると60回近くに上る。これを機に2004年1月に浦添市ハンドボール王国都市宣言を行い、世界で活躍できる選手育成に力を入れ、今後更なる活躍に市民の期待が高まっている。宣言碑が浦添運動公園に設置されている。
2006年4月より、市内一部小中学校で実施されていた二学期制が全小中学校で導入された。
現在、市内には市立幼稚園が11園、小学校が11校、中学校が6校、高等学校が6校、特別支援学校が3校、専修学校が4校ある。
浦添市内の国道58号や国道330号(バイパス)を通り那覇市と中部・北部各都市を結ぶ路線と、市街地・住宅地を経由する路線がある。浦添市内を通るバス路線のうち、てだこ浦西駅発着の一部を除き那覇市を経由または発着する。
国道58号上には勢理客、第一仲西、仲西、宮城、屋富祖、城間、第二城間、港川、第一牧港、牧港の10か所の停留所と、宇地泊の那覇方面側停留所が設けられている。浦添市内でバスレーンがあるのは国道58号のみである。バイパス上には浅野浦、大平、陽明高校前、沢岻の4か所の停留所が設けられている。沖縄自動車道の西原ICがあるが、バス停がないため、高速道路経由路線は停車しない。
現在、沖縄本島内主要民営バス会社4社全てと、やんばる急行バス、カリー観光が市内に乗り入れている。
下表の運行会社の「琉」は琉球バス交通の路線、「沖」は沖縄バスの路線、「琉・沖」は琉球バス交通・沖縄バスの共同運行路線、「那」は那覇バスの路線、「東」は東陽バスの路線。※BT=バスターミナル
市役所最寄り駅は浦添前田駅。市の中央南部(浦添市内間など)へは那覇市にある古島駅が最寄り駅となる。
戦前には沖縄県営鉄道嘉手納線が通っていたが、1945年に太平洋戦争で破壊され、消滅した。沖縄県営鉄道嘉手納線は軽便鉄道であった事から「ケービン(軽便)」と呼ばれ、浦添市内には牧港駅・城間駅・内間駅があった。現在は、大平特別支援学校前バス停の近くに線路の一部が残っている。
面積が小さいため主要道路の数は少ないが、その数少ない道路は那覇市と沖縄市、名護市などをつなぐ道路のため交通量が多く、渋滞が頻繁に発生する。特に浦添市中心部へ向かう大平ICの渋滞が著しかったが、2007年に国道330号(那覇方面)拡張により大平ICで分岐する車線が2車線増設され、解消される見込みである。
なお、九州・沖縄地方における一般道路においての交通量の上位5位は以下の通りであり、上位3位は同市によって占められている(2005年)。
領事館裏が米陸軍工兵隊沖縄事務所となっていたが、返還され現在は商業施設バークレーズコートになっている。
無集配局
市外局番は復帰前、もともと宜野湾市と同じ大謝名局の09で市内局番が7だったが、加入者数が多くなったため1971年にこれまでの大謝名局から那覇局の08に移り、市内局番の頭に7をつけて77となった。翌年1972年の本土復帰とともに市外局番が0988となった(市内局番の77はそのまま)。以降市内局番70番台は浦添市内に割り当てられていた。その後1990年に現在の098となり、市内局番は頭に8が加わり870番台が浦添市内に割り当てられていた。さらに1990年代末には942と9から始まる市内局番も登場し、現在市内では870-879と942などが市内局番として割り当てられている。なお、那覇市に近い沿岸部の一部では那覇市中心地で使用されている860-869と941などが使用されている。
Owlapps.net - since 2012 - Les chouettes applications du hibou