安食(あじき)は、千葉県印旛郡栄町の大字・町丁。郵便番号270-1516。
北は茨城県河内町小林町歩、北東は須賀、東は酒直、南は印西市下井、南西は印西市酒直卜杭、酒直、西は印西市安食卜杭、安食卜杭新田、北西は和田に隣接している。地内に安食台と隣接している。飛び地があり、印西市下井に隣接している。
小字は以下の通り。
江戸期は安食村であり、下総国埴生郡のうち。はじめ旗本本多氏領、のち幕府領、元禄14年から佐倉藩領、享保8年から淀藩領。なお「旧高旧領」では幕府領も見える。村高は「元禄郷帳」1,545石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに1,671石余。天明6年差出帳によれば、反別田76町1反余・畑78町7反余・屋敷2町9反余・新畑屋敷7反余、ほかに御林9町歩・野地畑15町歩・野地53町8反余・百姓山34町1反余、家数260・人口1,301、馬84、郷蔵屋敷、津出場、および舟渡場3か所があり高瀬舟9・舫艇2、本田囲堤3か所のほかに新畑堤囲・狭堤・春溜堤、春溜14か所、年貢米のほかに夫役永2貫686文・下草銭永500文・百姓山銭永2貫185文・川役永1貫563文・鳥役永10貫50文・草銭永250文鐚500文を納入。また天保13年の農間渡世は、質屋・旅籠屋・菓子屋・居酒屋など66軒(山田家文書 / 県史料下総)。安食河岸は、北浦・霞ヶ浦からの鮮魚を行徳(江戸)にむけて陸送する要地にあたり、布佐河岸よりの鮮魚街道とともに輸送量が多かった。長門川流域の卜杭野は当村百姓などにより寛文4年に開発され安食卜杭新田となり分村する。また、同川下流域左岸の野地はもと大瀬野と称したが、江戸初期に開発され布鎌新田の一部となる。明治6年千葉県に所属。同22年下埴生郡に編入。明治6年安食小学校開校。神社は鷲賀岡神社・駒形神社など、寺院は天台宗正徳寺・大乗寺など(印旛郡誌)。明治22年境村の大字となる。
2017年(平成29年)11月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。
町立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
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