肥前国分寺跡(ひぜんこくぶんじあと)は、佐賀県佐賀市大和町にある寺院跡。現在は佐賀市の史跡に指定されている。
奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、肥前国国分寺の寺院跡にあたる。本項では肥前国分尼寺跡についても解説する。
佐賀市北部、北方1キロメートルに山を控える傾斜地に位置する。東に僧寺跡、西に尼寺跡があり、現在も「尼寺(にいじ)」や「国分北」「国分南」という地名に名残を伝えている。両寺跡は住宅街の中にあるため、史跡整備はされていない。
聖武天皇の詔による建立とされるが、創建の記録は残っていない。国分寺は鎌倉時代には地頭職に国分氏の名も見え、かなりの勢力を持っていたとされる。その後、南北朝時代から室町時代にかけて衰退したと見られている。江戸時代の寛政4年(1792年)の絵図には当時の寺域が描かれているが、創建時からはかなりの縮小が指摘される。
寺域は方2町(約216メートル四方)。伽藍配置は中門・金堂・講堂を一直線に配置し、中門左右から出た回廊がこれらを囲むと推定される。塔は金堂の南東方に配置された。その版築基壇は全国国分寺のうちでも最大規模で、七重塔と想定される。僧寺の東方では、4基の瓦窯も見つかっている。
尼寺跡は僧寺跡の西方に推定されている。寺域は1町四方(約108メートル四方)。
所在地
周辺
国府について『肥前国風土記』に記録がない。『和名抄』に「乎岐国府」(おぎ)とある。しかし、奈良時代には久池井に置かれていたので移転したと推定される。
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