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簡文帝 (南朝梁)


簡文帝 (南朝梁)


簡文帝(かんぶんてい)は、南朝梁の第2代皇帝。姓は蕭、諱は綱。武帝蕭衍の三男。

生涯

即位前

天監2年(503年)10月、蕭綱は武帝と丁貴嬪のあいだの子として、建康の顕陽殿で生まれた。天監5年(506年)、晋安王に封ぜられた。

天監8年(509年)、雲麾将軍となり、領石頭戍事を兼ねた。天監9年(510年)、宣毅将軍・南兗州刺史に転じた。天監12年(513年)、入朝して宣恵将軍・丹陽尹となった。天監13年(514年)、南蛮校尉・荊州刺史として出向した天監14年。(515年)、雲麾将軍・江州刺史に転じた。天監17年(518年)、建康に召還されて西中郎将・領石頭戍事となり、まもなく再び宣恵将軍・丹陽尹に転じ、侍中の任を加えられた。普通元年(520年)、益州刺史とされたが、赴任しないうちに雲麾将軍・南徐州刺史に転じた。普通4年(523年)、平西将軍・寧蛮校尉・雍州刺史に転じた。普通5年(524年)、安北将軍に進んだ。普通7年(526年)、生母の丁貴嬪が死去したため、官を辞して喪に服した。しかし武帝の意向により、無官のままでもとの任を代行した。中大通2年(530年)、建康に召還され、驃騎将軍・揚州刺史として出向した。

中大通3年(531年)、兄の昭明太子蕭統の死により皇太子に立てられた。東宮を修繕していたため、東府に居住した。中大通4年(532年)、東宮に移転した。

太清2年(548年)、侯景の乱が起こり、建康が包囲された。太清3年(549年)3月、建康が陥落し、蕭綱は侯景の監視下に置かれることとなった。

即位後

同年5月丙辰に武帝が死去すると、同月辛巳に蕭綱は皇帝に即位した。その短い治世の間には百済からの使者を受けたりしたが、政治の実権は完全に侯景に握られており、単なる傀儡に過ぎなかった。挙げ句の果てに、侯景に対して相国、さらには宇宙大将軍・都督六合諸軍事なる大仰な官職を任じさせられるはめになっている。また対外的にも、侯景に対抗する湘東王蕭繹を始めとする王族たちに攻められており、非常に不安定な国情にあった。

既に壮年を過ぎた簡文帝は、侯景にとっては操りやすい存在ではなかった。大宝2年(551年)8月、侯景を討とうとする王族たちの軍に敗北して戻ってきた侯景は、簡文帝を廃して元の晋安王とするとともに、皇太子を始めとする簡文帝の子供たちをみな抹殺し、蕭統の孫で簡文帝の大甥にあたるまだ幼い豫章王蕭棟を位に就けた。その2カ月後、晋安王蕭綱は侯景の手の者によって身体の上に大量の土嚢を積まれて圧死させられた。侯景によって高宗の廟号と明皇帝の諡号が贈られたが、侯景を討って即位した弟の元帝蕭繹によって改めて太宗の廟号と簡文皇帝の諡号が贈られた。また、簡文帝の息子のうち、蕭大款・蕭大成・蕭大封・蕭大圜は簡文帝が廃される前に脱出に成功して元帝に従っている。

著作

兄の昭明太子蕭統同様文才に優れており、6歳の時、父武帝の前で見事な文章を書いてみせ、「この子はわが家の東阿である」と武帝から称賛された。長じては『昭明太子伝』『諸王伝』『礼大義』『老子義』『荘子義』『長春義記』『法宝連璧』などを著した。詩の分野では、「宮体詩」(「宮体」とは「東宮の詩体」の意)と呼ばれる艶麗な詩風を確立し、200首余りが現存する。詩集『玉台新詠』は、皇太子時代の蕭綱が配下の文人であった徐陵に命じて編纂させたものとされている。

妻子


  • 皇太子妃:王霊賓(贈簡皇后)
    • 長男:哀太子 蕭大器(仁宗)
    • 五男:南郡王 蕭大連(仁靖)
    • 皇女:長山公主 蕭妙䂮
  • 側室:范淑妃
    • 皇女:溧陽公主
  • 側室:陳淑容
    • 次男:尋陽王 蕭大心(仁恕)
  • 側室:左夫人
    • 四男:南海王 蕭大臨(仁宣)
    • 六男:安陸王 蕭大春(仁経)
  • 側室:謝夫人
    • 十二男:瀏陽公 蕭大雅(仁風)
  • 側室:張夫人
    • 十三男:新興王 蕭大荘(仁礼)
  • 側室:包昭華
  • 側室:范夫人
    • 十五男:武寧王 蕭大威(仁容)
  • 側室:褚修華
    • 十七男:建平王 蕭大球(仁珽)
  • 側室:陳夫人
    • 十八男:義安王 蕭大昕(仁朗)
  • 側室:朱夫人
    • 十九男:綏建王 蕭大摯(仁瑛)
  • 側室:潘美人
    • 十三男:蕭大訓(仁徳)
  • 生母不詳の子女
    • 三男:臨川王 蕭大款(仁師)
    • 八男:桂陽王 蕭大成(仁和)
    • 九男:汝南王 蕭大封(仁叡)
    • 十四男:西陽王 蕭大鈞(仁輔)
    • 二十男:晋熙王 蕭大圜(仁顕)
    • 皇女:南沙公主
    • 皇女:余姚公主
    • 皇女:海塩公主
    • 皇女:安陽公主

脚注

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Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 簡文帝 (南朝梁) by Wikipedia (Historical)