松江市(まつえし)は、島根県の出雲地方に位置する市。島根県の県庁所在地であり、県内では人口が最も多い市である。中核市に指定されている。
北は日本海に接する島根半島の北山山地、宍道湖と中海、南は中国山地に挟まれた地域に広がる都市。松江藩の城下町を中心に発展してきた山陰最大の人口を擁する中心都市であり、鳥取県米子市とともに中海・宍道湖・大山圏域の中核を担う。
宍道湖から中海に注ぐ大橋川によって松江の市街地は南北に二分されている。宍道湖畔、大橋川の両岸に築かれた町であることや、松江城下の堀川の保存状態も良いことから「水の都」とされ、水郷水都全国会議の第1回会議は松江市で開催された。
日本海側気候であり、冬は曇りや雨、雪の日が多く年間雪日数は約50日に達し、日本海寒帯気団収束帯 (JPCZ) の影響を受けやすい。ただし、大陸からの距離が比較的近いために雪雲がそれほど発達せず、また宍道湖や中海に囲まれる海洋性の影響から気温は比較的高く、年間降雪量は68cmと同じ山陰の鳥取市の140cmや米子市の95cmと比べると降雪量は少ない。松江市をはじめ島根県の日本海沿岸部は豪雪地帯には指定されておらず、平均的には10~20㎝前後の積雪が一冬に数回ある程度である。大陸に近いことから西回り寒波の影響により平年を大幅に下回る真冬日になることもあり、冬の気温差が大きいのも特徴である。過去最深積雪は1971年(昭和46年)2月4日の100cmで唯一の積雪1m以上である。近年の大雪としては2011年(平成23年)1月1日の積雪56cmや2018年(平成30年)2月8日の積雪49㎝が観測されている。
春から秋にかけては比較的好天の日が多い。夏は湿度が高く蒸し暑く、フェーン現象が起きると35度以上の猛暑日となることも珍しくない。
年間通して湿度が高く、年平均相対湿度は75%と全国有数の高さとなっており、日照時間も少なく、美肌県と言われる所以ともなっている。
乃白町の田和山遺跡、大庭町の茶臼山周辺に点在する古墳群、大草町の出雲国庁跡、竹矢町の国分寺跡など古代から奈良時代の多くの遺跡が松江市南部の意宇川下流域、中海周辺で発見されている。縄文時代からの遺跡も中海、宍道湖周辺には多い。国宝の本殿を有する神魂神社は出雲大社の元の地である。最古の埴輪も発見され、風土記以前からの朝酌の市など、中海圏域が古くからアジアとの玄関口として栄えただろうことを窺い知ることができる。また黄泉比良坂など神話に出てくる地も多く残る。中海から来て大橋川にいたるところの「矢田の渡し」は風土記の時代からいまだ現存し動いている。出雲王朝ー大国主命や事代主神から大和王朝に権力が譲られたという「国ゆずり」の神話による「青柴垣神事」「諸手船神事」は今も美保関町で行われている。
室町時代は出雲守護を代々継承した京極家の守護所が置かれた。戦国時代には京極家分家の尼子家(守護代)が台頭したため支配下に置かれる。
本格的に開発が進んだのは、堀尾吉晴が1607年(慶長12年)- 1611年(慶長16年)に足かけ5年をかけて、松江城及びその城下町の建設を行って以降のことである。1634年(寛永11年)京極忠高が若狭小浜藩より転封となり、松江藩主となる。城下は近世都市として整備され、山陰の都として栄えた。
江戸時代中期以降は親藩越前松平家(松江藩)の城下町として栄える。中でも有名な藩主が「松平不昧公」の異名を持つ松平治郷である。明治時代になると、松江は島根県の県庁所在地となった。小泉八雲が訪れたのもこの時代である。
松江市は山陰地方の拠点都市の一つでもあり、鳥取県米子市とともに鳥取・島根両県を統括する支店が多く置かれているほか山陰地域で展開する企業の本社も多い。しかし山陽地方の都市と比較して経済力が高いわけではなく、人口規模も他の山陽地方の中核市に比べて小さい。
データは2005年(平成17年)。
なお、三菱UFJ銀行山陰支社は法人向け融資の相談業務の窓口のみで、店舗・ATMは設置されていない。
中心となる駅:松江駅
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