『ピロピロ』は、1993年4月から同年9月までフジテレビで放送されたバラエティー番組である。放送時間は毎週金曜 1:15 - 1:45(木曜深夜、JST)。
高田文夫率いる関東高田組が出演する『たまにはキンゴロー』、『夜鳴き弁天』に続くキンゴローシリーズ三部作最後の番組。前番組までは月曜深夜1:10~1:40で放送されていたが、当番組からは木曜日に放送枠移動した。
この番組が始まる数か月前に松村邦洋がゴールデンアロー賞芸能新人賞を受賞し、芸能人として認知度が高まり始めた事で松村を主役に番組を企画する事になり、当時松村が飲み会などでギャグにしていたピロピロ飲みを番組タイトルとして使う事になった。
深夜番組ではありつつも、当時フジテレビで放送し話題になっていた『ウゴウゴルーガ』の様な子供向け番組風に制作。第4回までは実際に小学生未満の子供数人も出演していたが、収録中に泣き出してスタジオから飛び出したりしてしまうため、第5回以降からは子供を出演させない方針になる。 小さい頃に遊んだボール遊びやゲームなどを楽しむ企画が多かったが、浅草キッド(主に玉袋筋太郎)や男同志(コンタキンテ・江頭2:50)などに松村がイジメられる事がほとんどだった。
「思い出して描いてみよう」というお絵かきコーナーでは、水道橋博士が「みんな描いてますか?」と尋ねると松村や江頭が「毎晩かいてますよ」とお絵かきという意味ではなく自慰行為の「かく」という意味で答えるため、いつもメガホンで突っ込まれていた。
高田文夫は、当番組ではメイン出演者ではなくアドバイザー的な位置で出演し松村のフォローに対応する事がほとんどだった。松村と松島エリースが二人で進行する「OJ(お笑いジャーナル)」というコーナーでは当時フジテレビの水曜夜10時に放送していた『MJ -MUSIC JOURNAL-』の真似でセットが低予算風に作られており本家MJで流れる電光掲示板的テロップを当番組では紙で作られたロールテロップを江頭が一生懸命手巻きで回してロールを流していた。
オープニングテーマは番組内で作られた「ピロピロ体操」。第7回から松村が歌う「ピロピロダンス」(作詞:高田文夫・作曲:佐瀬寿一)。エンディングテーマは鈴木結女の「STYLE」(※第3回から)。第1回と第2回は鈴木結女の「強さの意味」。
また番組内で、松村が幼少期に幼稚園で歌っていた「おあつまり(みんなが集まる際に歌っていた曲)」という歌をみんなで歌ったりもした。この歌は高田と松村が『風まかせ 新・諸国漫遊記』に出演し、松村の里帰り企画の際に紹介された。
当番組の演出スタッフは、つきざわけんじ班(第5回から演出は、つきざわの後輩である森本正直が受け持った)と片岡K班の2班に分かれていた。2本撮り収録形式のため 、つきざわ班は第1・2・5・6・9・10・13・14・17・18・21・22回を担当、片岡班は第3・4・7・8・11・12・15・16・19・20・23(最終)回を担当と交互に制作していた。(※第1回のみ諸事情で、ほぼ生放送状態の撮って出しだった)
番組内では子供番組を意識して全て「ひらがな」と「カタカナ」のみで表記されていた。
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