1951年の読売ジャイアンツ(1951ねんのよみうりジャイアンツ)では、1951年の読売ジャイアンツの動向をまとめる。
この年の読売ジャイアンツは、水原茂監督の2年目のシーズンである。
この年の巨人は前年までマイナーリーグに所属し、シーズン序盤に加入した与那嶺要、首位打者の川上哲治、本塁打・打点の2冠王の青田昇らが名を連ねた打線が爆発的な得点力を発揮し、投手陣もチーム防御率2点台と圧倒的な強さを見せつけた。4月を11勝6敗3分と勝ち越して開幕ダッシュすると、6月に8連勝、7月に15連勝、9月に11連勝と貯金50を重ね、独走でセ・リーグ優勝を飾った。そして、日本シリーズでは南海を4勝1敗で破り日本一に輝いた。打撃戦時代が終わったこともあり、投手陣は前年完全試合達成の藤本英雄をはじめ、別所毅彦・中尾碩志・大友工、若手の松田清がローテーションを守って勝ち星を重ね松田が23勝、別所が21勝と20勝投手を2人出し、藤本が15勝、大友が11勝、中尾が9勝と79勝をこの5人が稼ぎ、チーム防御率は2.62とリーグ1位、本塁打も与那嶺・川上・青田らの活躍で92本塁打はリーグ2位、打率.290もリーグ1位と破壊力は抜群だった。対戦成績では5位の国鉄をはじめBクラスチームに大きく勝ち越し、特に大洋戦には同一カード14連勝を記録するなど16勝2敗2分、最下位の広島にも同一カード9連勝を記録して13勝2敗1分と両球団をカモにした。
この年から日本プロ野球でオールスター戦が開始された。
本節では、前シーズン終了から本シーズン開幕までの入退団について記述する。
本節では、本シーズン開幕から本シーズン終了までの入退団について記述する。
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