六供町(ろっくちょう)は、愛知県岡崎市の町名である。
地理
岡崎市のやや西に位置する。主に住宅地を形成している。20個の小字を持つ。六供町1丁目、六供町2丁目、六供町3丁目、六供町4丁目があるが、これらは全て小字であり、正確には六供町字1丁目~六供町字4丁目と表記される。よって当町には番地、丁目は置かれていない。
小字
世帯数と人口
2019年(令和元年)5月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
歴史
額田郡六供村を前身とする。当初は額田郡六供町(岡崎六供町)であったが、一度六供村になっている。江戸時代は甲山寺領であった。
甲山にある甲山第1号墳は、直径100メートル以上で4世紀後半に作られた三河地方最大の古墳であると考えられる。
沿革
- 1876年(明治9年) - 岡崎六供町と岡崎上肴町の一部が合併し、六供村となる。
- 1994年(明治17年) - 一部を岡崎能見町へ編入。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行に伴い、岡崎横町・岡崎亀井町・岡崎久右衛門町・岡崎魚町・岡崎康生町・岡崎材木町・岡崎十王町・岡崎松本町・岡崎上肴町・岡崎伝馬町・岡崎田町・岡崎唐沢町・岡崎島町・岡崎投町・岡崎能見町・岡崎八幡町・岡崎板屋町・岡崎福寿町・岡崎門前町・岡崎祐金町・岡崎裏町・岡崎両町・岡崎連尺町・岡崎六地蔵町・岡崎籠田町・菅生村・中村・梅園村・八帖村・六供村が合併し、岡崎町大字六供となる。
- 1916年(大正5年)7月1日 - 市制施行に伴い、岡崎市大字六供となる。
- 1917年(大正6年)7月1日 - 六供町に改称。
- 1945年(昭和20年)7月20日 - 岡崎空襲を受け六供町の一部が焼失。
- 1957年(昭和32年)11月15日 - 一部が六供本町1~2丁目・八幡町1~3丁目・亀井町2丁目・東能見町となる。
史跡
施設
- 岡崎六供郵便局
- 北部公民館
- 岡崎市民会館
- 甲山公園
- 愛宕公園
- 六供浄水記念公園
- 六供配水場
- 旧石原家住宅(主屋・土蔵:1859年建設、国登録有形文化財)
- 甲山寺
- 甲山寺本堂(元禄年間、市文化財)
- 木造大日如来坐像(平安時代後期、市文化財)
- 木造十二天立像(元禄15年、市文化財)
- 記念寺
- 宝林寺
- 貞松寺
- 常福寺
- 薬師寺
- 一乗寺
- 甲山八幡宮
教育
- 愛知教育大学附属岡崎小学校
- 旧愛知県岡崎師範学校武道場(1926年建築、国登録有形文化財)
- 愛知教育大学附属特別支援学校
- 学校法人愛隣幼稚園 愛隣幼稚園
ギャラリー
交通
- 道路
- 愛知県道477号東大見岡崎線・都市計画道路明代橋線
- 師範通り
- 市民会館通り
- バス
その他
日本郵便
- 郵便番号 : 444-0072(集配局:岡崎郵便局)。
脚注
注釈
出典
参考資料
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 有限会社平凡社地方資料センター 編『日本歴史地名大系第23巻 愛知県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4-582-49023-9。
- 新編岡崎市史編さん委員会 編『新編岡崎市史 総集編 20』1993年。
関連項目
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