1981年の日本ハムファイターズ(1981ねんのにっぽんハムファイターズ)では、1981年の日本ハムファイターズにおける動向をまとめる。
このシーズンの日本ハムファイターズは、大沢啓二監督の6年目のシーズンであり、東映時代の1962年以来19年ぶりのリーグ優勝を果たしたシーズンである。
前年優勝を逃したチームはリリーフのコマ不足解消のため、東映時代からのエース・高橋直樹を広島へ放出して江夏豊を獲得すると、同じく広島から高橋里志を佐伯和司との交換トレードで獲得。また、富田勝との交換トレードで中日から井上弘昭を獲得するが、それ以外の戦力は前年と大差はなかった。前年2連覇の近鉄とともに優勝候補にあげられたチームだったが、4月を9勝12敗と出遅れて開幕ダッシュに失敗する。5月以降は持ち直したものの、前期は勝率5割ちょうどの4位で終了した。後期に入ると柏原純一・トニー・ソレイタ・トミー・クルーズの強力クリーンナップが活躍し、ベテラン高橋一三が150勝と2500投球回を達成。また江夏が100セーブを、間柴茂有が開幕から無傷の15連勝を相次いで達成するなど記録ラッシュが相次いだ。後期は貯金14を稼ぎ、阪急の追い上げをかわして初の後期優勝を達成(年間通算勝率でも1位)。プレーオフは3勝1敗1分で前期優勝のロッテを破って19年ぶりのリーグ優勝を果たし、大沢監督が胴上げされた。この勢いで日本シリーズ制覇が期待されたが、第4戦で守備陣のミスが続発して巨人に大敗すると以降は投打が精彩を欠き、2勝4敗で巨人の軍門に下った。投手陣では2年目の木田勇が低調に終わったが、4年目の岡部憲章が13勝2敗で最優秀防御率を、間柴が最高勝率を、江夏が最優秀救援に輝いたほかMVPも受賞するなど主要タイトルを総なめにした。それ以外では、高橋一も打線の援護に助けられて14勝をあげ、高橋里も中継ぎでまずまずの成績を残した。打撃陣では、この年から1番の島田誠がグラウンドを走りまくったほか両外国人と柏原も安定した成績を残し、中日から移籍の井上は代打の切り札としてチームの勝利に貢献した。特にソレイタは44本塁打と108打点の二冠王に輝いたが、MVPは江夏に譲るかたちとなった。
*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
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