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1989年の西武ライオンズ


1989年の西武ライオンズ


1989年の西武ライオンズでは、1989年の西武ライオンズの動向をまとめる。

この年の西武ライオンズは、森祇晶監督の4年目のシーズンである。

概要

パ・リーグ初のリーグ5連覇がかかったシーズンだったが、キャンプで故障した正捕手伊東勤が開幕に間に合わず、序盤は工藤公康やタイラー・リー・バンバークレオ(バークレオ)の不振などで4月22日に最下位転落、6月25日には首位オリックスに最大11ゲーム差を付けられた。しかし6月に入り右ヒジ手術で出遅れていた渡辺智男がローテーションに定着、また不振のバークレオに代わりオレステス・デストラーデが合流し追撃体制に入り、前半最終戦で勝率を5割に戻すと、8月には16勝7敗と大きく勝ち越して借金を返済し近鉄・オリックスとの三つ巴の優勝争いに加わり、9月16日にはとうとう首位に立った。しかし10月に入るとストッパー不在の投手陣に疲れが見え始め、5日の対ダイエー戦では3回までに8点をリードしながら、9回に8点を奪われ痛恨の逆転負け。それでも優勝目前までこぎつけ、10日から近鉄との直接対決3連戦を迎えるが、第1戦をエース渡辺久信で落とすと、12日のダブルヘッダーでは第1試合で郭泰源と渡辺久がラルフ・ブライアントに3打席連続本塁打を浴び逆転負け、第2試合はいてまえ打線の猛攻で14失点の大敗を喫し自力優勝が消滅、結局2厘差の3位に終わった。チームはBクラスの日本ハムやロッテには大きく勝ち越したが、ダイエーにはわずかしか勝ち越せなかった。

チーム成績

レギュラーシーズン

オールスターゲーム1989

  • 選出選手及びスタッフ
  • 太字はファン投票による選出。

個人成績

投手成績

  • 色付きは規定投球回(130イニング)以上の選手
  • 太字はリーグ最高

打撃成績

  • 色付きは規定打席(403打席)以上の選手
  • 太字はリーグ最高

できごと

5月

  • 5月12日 - 二軍打撃コーチの土井正博が麻雀賭博の現行犯で逮捕。西武は事件の責任を取り、球団代表の坂井保之と球団常務の戸田博之を更迭。

6月

  • 6月4日 - 清原和博が対ダイエー戦(西武)で原田賢治から通算100号本塁打。21歳9ヶ月での達成はプロ野球最年少記録。
  • 6月7日 - 西武対ロッテ戦(西武)は西武が郭泰源、ロッテは荘勝雄で日本プロ野球史上初の台湾出身投手同士の先発となり、試合は1対0で荘が完封勝利。

9月

  • 9月23日 - 清原和博がロッテ戦(西武)の4回、平沼定晴から受けた死球に怒り、バットを放り投げ乱闘を起こしたとして初の退場処分を受け、連盟から即日「厳重戒告・制裁金30万円・2日間出場停止」の処分。このため、前日まで続いていた連続試合出場は490でストップ。

10月

  • 10月5日 - 対ダイエー戦(西武)で3回までに8-0とリードしながら、9回に一挙8点を失い12-13で逆転負け。
  • 10月12日 - 優勝がかかった対近鉄ダブルヘッダー(西武球場)で近鉄ラルフ・ブライアントが第1試合から第2試合にかけて4打数(敬遠四球一つを間に挟む)連続本塁打を記録(日本プロ野球タイ記録)。近鉄は6-5、14-4で連勝し、近鉄に優勝へのマジック2が点灯。

選手・スタッフ

表彰選手

ドラフト

脚注

注釈

出典


Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 1989年の西武ライオンズ by Wikipedia (Historical)


INVESTIGATION