渡邊 知晃(わたなべ ともあき、1986年4月29日 - )は、福島県郡山市出身の元フットサル選手。立川・府中アスレティックFC所属。日本代表。福島県初のFリーガーである。ポジションはピヴォ。ボレーシュートの名手として知られる。2021年3月で現役を引退した。現在はABEMAでのFリーグ生中継の解説を務めている。2021年7月14日に、初版となる著書『蹴論』-シュートは考え方で決定力が高まる-を出版した。
福島県郡山市出身。小学3年時に郡山市立桃見台小学校のサッカー少年団でサッカーをはじめ、小学6年時には福島県代表として全日本少年サッカー大会に出場。郡山市立第五中学校を経て、福島県立郡山高校ではサッカー部に所属し、順天堂大学でも1年次には蹴球部に所属したが、大学2年次に順天堂大学フットサル部GAZILでフットサルをはじめた。
2009年には関東フットサルリーグのBOTSWANA FC MEGUROからステラミーゴいわて花巻に移籍。2009年にミゲル・ロドリゴがフットサル日本代表監督に就任すると、新体制初の活動となったスペイン合宿で日本代表に初招集された。
2011年夏には名古屋オーシャンズに移籍。入団後初の公式戦となったAFCフットサルクラブ選手権2011では3得点して初優勝に貢献。グループステージの浙江ドラゴン(中国)戦、アル・ラーヤンSC(カタール)戦、決勝のシャヒード・マンスーリ(イラン)戦で得点。シャヒード・マンスーリ戦の得点は2-2で迎えた延長での決勝点だった。2014年のAFCフットサルクラブ選手権2014では2度目の優勝。2014-15シーズンには森岡薫に次ぐチーム2位の15得点を記録。2015年3月には自身のTwitterアカウントで名古屋グランパス対松本山雅FCの応援動画を投稿し、3700リツイートを記録した。
日本代表として出場した2014 AFCフットサル選手権では決勝のイラン戦延長戦後半に同点ゴールを演出(公式記録上は相手のオウンゴール)。日本代表はPK戦を制してアジア2連覇を達成した。
2015年4月には府中アスレティックフットボールクラブに移籍した。同2015年4月には森岡薫とともに株式会社Global 9を設立し、森岡が代表取締役社長に、渡邉が取締役に就任。フットサルスクールやカルチャースクールの運営、会員制オンラインサロンの開催、フットサル関連アプリ企画・開発・販売、慈善事業、フットサル関連物販事業などを行っている。入団から3ヶ月後の7月28日には府中を退団し、8月4日付で中国リーグの大連元朝足蹴倶楽部に加入した。
2016年8月に府中アスレティックFCに復帰した。
2017-2018シーズンはFリーグで33試合に出場して45得点を挙げ、自身初のFリーグ得点王に輝いた。AbemaTVフットサル生中継をキッカケにフラペチーノ渡邉というニックネームがつけられた。
2018年3月から5月には短期間の契約でインドネシアプロリーグのビンタン・ティムール・スラバヤにレンタル移籍した。なお、同期間には森岡薫も同様にレンタル移籍している。
2019-2020シーズンは立川・府中アスレティックFCでキャプテンを務める。
2020-21シーズン終了後に現役引退した。引退後はABEMAのFリーグ生中継で解説を務めている。
2021年7月14日に初版となる著書『蹴論』-シュートは考え方で決定力が高まる-を出版した。
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