唐沢 寿明(からさわ としあき、1963年〈昭和38年〉6月3日 - )は、日本の俳優。別名義は唐沢潔(旧芸名)。東京都台東区出身。研音所属。 東京都立蔵前工業高等学校中退。妻は女優の山口智子。
1963年(昭和38年)6月3日、東京都台東区で3人兄弟の次男として生まれる 。5,6歳の時、映画で見たブルース・リーに憧れ役者を志す。16歳で東映アクションクラブ(当時最年少)四期生として入所。高校は2年で中退する。不仲だった両親と喧嘩の末、家を出て伯母の家に居候する。
東映では刑事ドラマのエキストラや仮面ライダーシリーズの敵役スーツアクターとして活動。しかし2年後、「ここでは役者になれない」と仲間に言ったのが原因でクラブを解雇される。
その後、舞台やショーパブ、様々なアルバイトを経験する。ホリプロにスカウトされて歌手デビューを勧められ、自分のためにホリプロを退社した上役とレコード会社まわりをしていたこともあるが、役者志望であることを理由に決裂する。
舞台『ボーイズレビュー・ステイゴールド』のオーディションに合格したのをきっかけに、三生社(社長は俳優橋爪功の最初の妻)に所属。社長からポロシャツとVネックセーターをプレゼントされ、さわやかな青年風にイメージを変える。また芸名を「寿明」とする。
1988年、NHK朝の連続テレビ小説『純ちゃんの応援歌』に主役の山口智子の弟役で出演。
1989年、大河ドラマ『春日局』に出演。織田裕二、吉田栄作と並ぶ若手俳優として注目される。テレビドラマ『男について』で共演した浅野ゆう子に声をかけられ、現所属事務所の研音に所属。
1992年、テレビドラマ『愛という名のもとに』でトレンディ俳優としてブレイク。
1995年12月13日、山口智子との電撃入籍が報じられ、15日に二人で記者会見を行い、結婚を公表した。山口とは『純ちゃんの応援歌』以来交際を続けていた。
1998年、自叙伝『ふたり』を発売、ベストセラーになる。
2002年、大河ドラマ『利家とまつ〜加賀百万石物語〜』で主演を務めた。
2011年2月公開の映画『太平洋の奇跡』に元ヤクザの軍人役で出演。役作りの為、唐沢自らの提案でスキンヘッドにしたり鳥ささみ中心の食生活に変えて本格的な筋力トレーニングを行って撮影に臨んだ。
芸名の「寿明」は三生社所属時に、社長が占い師に相談し、名づけたものである。この時からしばらく年齢を2歳若く偽っていたが、取材やトーク番組でつじつまをあわせるのに苦労したという。
デビュー当初は、東映の『仮面ライダーシリーズ』『スーパー戦隊シリーズ』などの特撮番組に脇役やスーツアクターとして出演がほとんどだった。また、東映では斬られ役や吹き替え、スーツアクターなどのほか、照明や衣装のアシスタントなどの裏方も務めていた。ショッカー役をやっていたことはネタにされることがある。
コンビニエンスストアやショーパブ、結婚式場でのドライアイス係、チラシモデル、ラーメン屋など、駆け出し当時のアルバイト経験は豊富である。
菓子、デザート、佃煮などの甘いものが嫌いで、好物は納豆、ハンバーグ、伴麺、餃子などがある。
現在の趣味は「ブルース・リー、車(クラッシックカー)、食事」のみであるそうだが、30代にゲーム『ストリートファイターII』にハマりすぎ、集中しすぎて呼びかけに答えなかったり、親指を脱臼したりなどしたことがある。またゲームに関しては結婚後、妻の山口とドラマで共演したことがある木村拓哉が遊びに来た際、3人で食卓を囲んだ。しかしその途中、どうしてもテレビゲームがやりたくなって席を外してゲームを始めてしまい、妻に「木村さんがいるのになんて失礼な!」と怒られてしまったという。このようなことから、最終的にゲームすべてを妻に捨てられてしまったというエピソードを持つ(ただし後に山口は雑誌のインタビューで、「意図的に捨てたわけではないです」と否定している)。捨てられてしまってからはゲームはしていない。
30代後半にスロットレーシングカーを趣味にしていた時期もあり、その際に使用するラジコンも精巧なものを多数自作していた。その際、スプレーインクを使用しすぎて壁に色が付き、妻に怒られて以後制作する際は換気扇の下にずっといたという。
中学2年生で榊原郁恵の大ファンになり、FC番号は「A-2191」。「丸顔ですこし田舎っぽい顔が好き。とにかく丸いものが好き」と好みのタイプを語っている。車のタイプも丸いラインのものが好きだという。
小学生時はリトルリーグ(硬式野球)のチームに入っていたが、相手ピッチャーの球速が速かったためにすぐに諦めた。その後は、ブルース・リーに憧れていたことから少林寺拳法を習っていた。
なぜか妻から「ゴルフをやったら離婚する」と言われているのでゴルフをしたことはない。
遊園地の乗り物は苦手で、「男だから乗る必要がない」と述べている。また、犬も苦手である。怖いものはお化け(しかし一度も見たことはないという)。
「食文化以上にその土地の文化が現れているものはない」という持論を持つ。夫婦でたまに海外旅行に行っても、妻と違って観光には興味がない。このため滞在中は、妻と食事に出かけるとき以外にはホテルの部屋に一人残り、ほとんどの時間をテレビを見るなどして過ごすという。
中学の先輩に毒蝮三太夫がいる。妻が唐沢から聞いた話では、夫が育った台東区は毒舌を愛情表現や挨拶代わりとして日常的に使う地域だったという。このため、妻からは「唐沢さんの普段の話し方は、ビートたけしさんみたい」と評されている(ただし、たけしは足立区出身)。
東映アクションクラブ所属時代は特撮番組への出演が主だった。スーツアクターを描いた映画『イン・ザ・ヒーロー』への出演はスーツアクター経験を持つゆえであり、出演に際し5か月間の肉体改造を行いアクション撮影に挑んだ。親交の深い及川光博から映画で仮面ライダー3号を演じることを報告された際には、「何だよ! スケジュールの都合が合ったら出たのに! ライダーマン役で!」と返したという。
特撮への思い入れから『ヒーローを作った男 石ノ森章太郎物語』には企画主旨に賛同し、制作側の熱望に応える形でショッカー戦闘員役として特別出演した。
当時の所属事務所社長のアドバイスにより、Tシャツに革ジャンからポロシャツにセーターという爽やかな青年風に路線変更した。当初は軟弱で嫌いな男のイメージだったが、周囲の評判も良く、役者としての突破口になった。
1992年の人気ドラマ『愛という名のもとに』で演じたエリート好青年の役で一気にブレイクし、雑誌の特集などで「爽やか」「好青年」という代名詞が付くことが多くなって女性ファッション誌の人気ランキングにランクインするなど、1990年代は当時のいわゆる人気若手俳優の1人といった存在だった。
ブルース・リーへの思い入れは強く、中野英雄の自宅に唐沢が来て一緒に『ドラゴンへの道』と『燃えよドラゴン』を鑑賞した時に唐沢はアクションシーンで叫んだり英語でセリフも覚えており、中野もブルース・リーに詳しいつもりだったがレベルが違ったと自身の公式ブログでエピソードを紹介した。関連グッズも多数所有している。
プライベートでは熱心な自動車愛好家としても知られ、ホンダ・NSXを複数台所有するほどのNSXフリークである。またヒストリックカーの分野でもトヨタ・2000GTの後期型、フェラーリ・F355、アストンマーティン・DB4、ポルシェ・356、フォルクスワーゲン・ビートルを所有し、ヒストリックカー専門誌の取材も受けるほどである。2000GTについてはトヨタの協力を得てオープンカー(ロードスター)仕様に改造した車も所有していたが、こちらは2021年にトヨタ博物館に寄贈した。このように上質なコレクションを持つ一方、自らのドライビングで積極的に各種ラリーイベントにも参加している。JAF国内A級ライセンスを取得しサーキットレースにも参加するなどの活動により、大衆への自動車文化の流布に多大なる貢献を果たしている。
歌唱力が高い事でも知られており、『輝け隣太郎』では樹木希林とのデュエット曲でCDシングル化もされた「2人のすべて」を、『トイ・ストーリー2』では挿入歌「君はともだち」のウッディ・バージョンを、『20世紀少年』では「Kenji」名義で「Bob Lennon」を歌っている。
真田広之のトークイベントにゲスト出演した際、無名の頃に真田の主演舞台の裏方をした時のエピソードを披露、以降も親交がある。集合時間の3時間前から現場入りして、ストイックに仕事に打ち込む真田の姿に感動した唐沢は、同時に彼の体調を心配し、誰からも頼まれていないのにいつでも代役が務められるようにと、真田より早い4時間前から現場に入り、セリフを完璧に覚えていた。真田も、その懸命な唐沢の存在に気づいていたという。
江口洋介とは大河ドラマで共演したことがきっかけとなり、深い友人関係が続いている。
『白い巨塔』で共演した西田敏行とは食事に行く仲で、60歳を過ぎてもエンターテインメントの第一線で活躍している点など心から尊敬しているという。
雑誌のインタビューで、「いい男とは?」という質問に「渡辺謙」と即答している。
下積み時代に十二世市川團十郎の実妹の市川壽紅に日本舞踊を習っていたことから、十二世團十郎の息子の十三代目團十郎白猿のことは彼の小学生時代からよく知っているという。
山崎豊子が死去した翌日、数年ぶりに『白い巨塔』の制作に関わったスタッフとの食事会を予定していたという唐沢は、「久しぶりに当時を振り返り、思い出話ができると思っていた矢先、山崎先生の突然の訃報を受けて、本当に言葉がありません」と悲痛な胸の内を明かした。
及川光博とは大河ドラマから、谷原章介とは連続ドラマ『小早川伸木の恋』から、長谷川博己とは蜷川舞台『冬物語』から、宇多田ヒカルとは映画『CASSHERN』から、窪田正孝とは連続ドラマ『THE LAST COP/ラストコップ』から、広瀬アリスとは連続ドラマ『ハラスメントゲーム』から親交があり、飲み友達である。飲み会のセッティングはほぼ唐沢が行い、払いも唐沢である。また、この会は人見知りをまったくしない唐沢が撮影現場等で行き当たりばったりに出会った人を誘って開かれる飲み会で、「芸能界がんばって生き残ろう会(通称・唐沢会)」と命名されている。他にも有名・無名、先輩・後輩を問わず、俳優・芸人・アイドル・歌手・一般人等幅広い参加メンバーであるが、会のレギュラーメンバーは及川光博と谷原章介である。その交友関係の広さから、友情出演も多い。
1988年放送のNHK連続テレビ小説『純ちゃんの応援歌』の共演が交際のきっかけ。唐沢は山口の第一印象を「デカイ女」と思ったとのこと。また、山口は唐沢の第一印象を「日本一、顔の小さい男だと思った。握り拳くらいしかない」と結婚後に雑誌インタビューで語っている。この作品がデビュー作で初主演の山口は、舞台や東映の特撮スーツアクター、スタントや声の吹き替えなどで既に下積み経験の長い唐沢に「女優としてやっていく自信がない」などと撮影の合間にたびたび悩みを打ち明けていた。週5日の大阪での撮影中、二人はホテルの内線電話でよく話をするようになったという。撮影終盤のクリスマスに山口からプレゼントを贈られたことや打ち上げの会場に向かう車で初めて二人きりになったことなども著書に綴っている。また、1992年元日放送の『平成あっぱれテレビ』では、山口とともにグアム島から生中継リポーターを務めた。
1992年、ガムテープと手錠とカメラを持った二人組の男が宅配業者を装って山口の自宅マンションに侵入する事件が発生。この時唐沢が部屋にいたことで唐沢が暴漢を撃退しことなきを得たが、この事件で二人の交際が発覚した。事件そのものの衝撃とマスコミの取材攻勢で神経がくたくただったが、山口が受けたショックを思うと参ってはいられなかったと著書で振り返っている。
連続ドラマ『輝け隣太郎』出演時に共演の樹木希林に結婚のことを相談していた。すでに長い交際期間で「結婚しているのと変わらないんだから」と先延ばしにしていたが、樹木希林から「いつでもいいなんて言っていたら、きりがないんだから、さっさと結婚してしまいなさいよ」とハッパをかけられ、いい物件があると不動産屋も紹介してくれたと著書「ふたり」で述べている。現在の自宅はその時の物件である。
1995年12月13日のスポーツ新聞の一面に入籍報道が載ったがその翌々日の15日に入籍・記者会見の予定だったことから驚きはしなかったという。1995年12月15日、7年間の交際を経て山口智子と入籍、翌々日にフジテレビにて二人で記者会見を行った。
記者会見でお互いどんなところが良かったのかという芸能レポーターの質問に唐沢は「普通の感じの女性で、家のこともちゃんとやる人だから」「料理が上手」「笑顔が素敵」などと答え、山口は「世界で一番幸せだと思っています」「仕事に対する姿勢を尊敬しています」などと答えていた。結婚でショックを受けたお互いのファンに対してどう思うかと聞かれると「たまに貸し出しますよ」と答えるなど、終始、唐沢が芸能レポーターたちを笑わせる会見となった。また、唐沢は同じ日に放送された明石家さんまの番組『生さんま みんなでイイ気持ち!』に出演し、さんまのインタビューを受け、交際中の秘話や結婚までの道のりを語った。さんまの事務所の女性スタッフが唐沢の大ファンでショックを受けているとさんまに言われると「ありがたいことです。だけど、もういい大人なんで」と答えていた。
結婚以降、山口は女優活動をセーブしているが2005年にゲスト出演した『スタジオパークからこんにちは』で司会のアナウンサーに「奥様はお元気ですか?『家にいろよ』とかおっしゃっているんですか?」と聞かれ、「それは無いです。良かったら何かドラマの企画書を出して下さい」と答えていた。一方、山口は近年、芸術・美術やそれらに携わる職人に関する活動を熱心に行っており、2010年に自身がナビゲーターを務めた職人技を紹介する番組でスポーツ新聞の取材に対し「美術やアートって聞くと、見事に聞き流されますね」「彼の興味は役者の仕事と車。2点集中主義の人生がいいみたい」「彼も『職人』なんだと思うようになった」と語り、2013年5月号の雑誌『美ST』のインタビューでは「いい主人に巡り合えて本当に幸せ。人生を豊かにしてくれて、心から感謝してる」「彼と歩む人生はとても楽しいです」と唐沢について語っている。
家庭では、掃除・洗濯は気がついた方がするなど家事は分担制にしている。本人は「自分はまったく料理はできないので、料理を作ってもらったら洗い物は全部する。」と度々番組で述べている。妻の山口も「洗い物は全部唐沢さんがやってくれる」と発言している。
2003年のドラマ『白い巨塔』主演の際、唐沢と山崎の初顔合わせとなった食事の席(プロデューサーも同席)で原作者の作家山崎豊子に 「財前役をやるなんていい度胸してるわね。あなた大丈夫?」と言われた。当初山崎は、役のイメージに合わないという理由で唐沢が財前役を演じることに難色を示していたが、食事が進むにつれ「あなた面白い男だね。」と気に入り、唐沢の起用に納得したというプロデューサーの後日談がある。ドラマを見た山崎は 「あなたが財前で良かった。素晴らしかった。感動しました」と唐沢を評価した。また、同じく山崎豊子原作の『不毛地帯』をドラマ化したいとプロデューサーが山崎に許可を貰いに行った際、山崎は「唐沢くんでよろしくね」と述べ、6年後にドラマ化され主演した。
『白い巨塔』では主演財前五郎のNGシーンの放出がなく、宣伝効果の高い超大型連続ドラマにもかかわらず出演CMが入らなかったことから、唐沢の意向ではないかと囁かれていたが、前半と後半の間には主演映画「嗤う伊右衛門」の宣伝活動を行っており、SMAP×SMAP新年特番に出演した際、いつも通り軽快に話す唐沢が突然「今ちょっとプロデューサーから注意された」「喋らないでって言われているんでね。あまり喋りません!すいません!普段はとっても面白いんだけど」と発言していることから、白い巨塔放送中の様々な制限に関しては唐沢も同意したと思われるが主に白い巨塔制作陣の意向だったようだ。
シリーズではゲームなど一部を除き、第1作から一貫して主人公ウッディ・プライド(原語版声優はトム・ハンクス)の吹き替えを担当している。よくウッディと顔立ちが似ているため「リアル・ウッディ」と言われ、これについて唐沢は「すごく嬉しいけど俳優としてはウッディに顔が似ていたら困るよね(笑)」「でも俳優としての自分の立ち位置とウッディの立ち位置は似ている気がします」と語っている。また、「声優(としての仕事)はウッディだけと決めているんです。子どもたちにウッディって呼ばれることも多いし、嬉しいですね」と語っているが、過去には他にも複数声優経験はある。
作品については「正直、ここまで愛される人気シリーズになるとは思っていなかった」と語っており、また「(シリーズの)何が良いかって、おもちゃたちや持ち主はもちろん、観客が大切なことを学びながら、成長できる点だと思うんですよ」と発言している。
無名時代にショーパブでアルバイトしていた際、東京放送(TBS)の音楽プロデューサーを務めていた砂田実の娘の引き立てで、TBSの『テレビ探偵団』に番組ギャラリーとして出演することになった。
2008年3月10日、平成19年度芸術選奨の演劇部門で文部科学大臣新人賞を受賞し、都内で行われた贈呈式に出席した。
2012年1月からWOWOWで放送された世界初の日本・韓国・中国合作のサスペンス・アクションドラマ『Strangers 6』に主演。 このドラマで共演した黄川田将也によると、唐沢は英語が堪能で、韓国・中国の共演者と英語で会話し、黄川田と共演者が話す際に唐沢が通訳をしたという。
※作品名が太字のものは主演
※作品名が太字のものは自著
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