高松 錦之助(たかまつきんのすけ、1898年1月13日 - 1979年5月14日)は、日本の俳優。本名は渡辺 綱雄。別芸名に高松 恭助。
1898年(明治31年)1月13日、北海道函館市相生町に生まれる。函館弥生尋常小学校を卒業。中学を2年で中退後、新派の柴田善太郎一座に入り、2年後に独立して、登島正美または高松五郎の名で北海道や東北を巡業する。
1924年(大正13年)7月1日、東亜キネマ合併下のマキノ映画製作所等持院撮影所に入社し、高松錦之助を名乗って二川文太郎監督の『墓石が鼾をする頃』などに出演する。翌1925年(大正14年)はマキノ・プロダクション御室撮影所の作品に出演し、『修羅八荒』の陣馬弥十郎役、『春日山の月』の上杉謙信役などで好演する。
1926年(大正15年)4月、マキノを退社し、マキノから独立して新感覚派映画連盟を興した衣笠貞之助監督の『狂つた一頁』に出演するが、すぐにマキノに復社。翌1927年(昭和2年)に衣笠映画連盟に加入し、高松恭助と改名する。1928年(昭和3年)2月、月形龍之介のツキガタプロダクションに筆頭脇役として参加。名を錦之助に戻して、同プロ第1回作品『酒毒の剣法』を始め『剣士沖田総司』などの野心的な時代劇作品で月形を助演した。同プロ解散の1929年(昭和4年)には月形とともに松竹下加茂撮影所に入社し、伊藤大輔監督の名作『斬人斬馬剣』などで月形を助演、多数の作品で脇役や敵役を演じる。この間、一時期だけ再結成された月形プロに参加している。
1941年(昭和16年)からは坂東好太郎と劇団を結成して実演に転じ、戦後の1947年(昭和22年)に溝口健二監督の『歌麿をめぐる五人の女』で映画界に復帰する。1949年(昭和24年)に東横映画に入り、1951年(昭和26年)の東映合併後は引き続き東映京都撮影所所属となった。東映時代劇の全盛期で活躍し、『水戸黄門漫遊記』『いれずみ判官』などの人気シリーズや、『紅孔雀』などの中編娯楽時代劇、内田吐夢監督『血槍富士』といった傑作など、250本以上もの作品に出演した。
1966年(昭和41年)に田坂具隆監督の『湖の琴』を最後に映画界から遠ざかり、数本のテレビドラマに出演していた。1979年(昭和54年)5月14日、軟化症のため死去。81歳没。
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