ファーミントン(英: Farmington)は、アメリカ合衆国メイン州の町。フランクリン郡の郡庁所在地である。人口は7,592人(2020年)。町内にはメイン大学ファーミントン校、ノルディカ記念公会堂、ザ・ホームステッドがあり、また毎年ファーミントン祭が開催されている。
ファーミントンとなった地域はかつて、アベナキ族インディアンの支族であるカニバス族が領土にしていた。ファーミントン滝に近く2か所の宿営地があり、トウモロコシやジャガイモを栽培するために切り開いた畑があった。その砦の柵は現在のファーミントン滝のビレッジがある場所を中心として、1エーカー (4,000 m²) を囲んでいた。1776年、メインのトップシャムからある集団が入って来て地域を探検し、町の区割りを決め、プランテーション第1号あるいはサンディ川プランテーションと呼んだが、恒久的な定着はアメリカ独立戦争のために遅れた。
1781年、最初の開拓者が入植し、同年、製材所が設立された。1794年2月1日、サンディ川プランテーションはファーミントンという名前で法人化された。その名は図抜けて肥沃な土壌からきていた。ファーミントン滝の近くに一群の丸太小屋を建設したことに始まり、町は急速に発展して繁栄した。初期には農業が重要な産業であり、干し草が主要生産物だった。果樹園ではリンゴなどの果物が栽培された。ニューイングランドでも最大級の毛織物の生産地であり、丘陵やその間で多くの羊の群れが草を食んだ。
町の水力が工業を呼んだ。製材所は5か所あり、窓枠、ブラインド、扉を作る工場が2か所、レンガ工場2か所、鍛冶場、熊手工場、製粉所3か所、1ダース近い荷馬車製作所、チーズ工場、トウモロコシの缶詰工場2か所、収穫機工場2か所、糸巻き工場、革なめし場があった。地域の製造業、貿易、農業の中心だったので、1838年にフランクリン郡が設立されたときに、その郡庁所在地に指定された。1859年、リーズジャンクションからファーミントンまでアンドロスコギン鉄道が開通し、貨物や旅客を運んで来るようになった。
1879年、狭軌のサンディ川鉄道(後にサンディ川とレーンジリー湖鉄道の一部)の南端となり、レーンジリー湖やシュガーローフ山のある地域への玄関となった。1886年10月22日に大火を経験し、家屋33軒、店舗19軒、教会3棟、郡監獄と郵便局が破壊された。著名な建築家のアーサー・H・バイナルが設計し、1877年に建設されたメソジスト教会は延焼を免れた。今日のファーミントンは学園町とリゾート地になっている。
アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、町域全面積は55.82平方マイル (144.57 km2)であり、このうち陸地55.67平方マイル (144.18 km2)、水域は0.15平方マイル (0.39 km2)で水域率は0.27%である。町内をウィルソン・ストリーム、テンプル・ストリーム、ビーバー・ブルック、サンディ川が流れている。
町内にはアメリカ国道2号線、メイン州道4号線、同27号線、同43号線、道133号線、同149号線が通っている。町の東はインダストリーとニューシャロン、南はチェスタービル、南西はウィルトン、西はテンプル、北はストロングとニュービニヤードの各町に接している。
ファーミントンの町自体は4つの地区に分かれており、ウェストファーミントン、フェアバンクス、ファーミントンフォールズ、ファーミントン(中心街)と呼ばれている。フェアバンクス以外の地区にそれぞれの郵便番号があるが、町域内にあることは間違いない。
ファーミントンの気候は季節によって温度差が大きいのが特徴であり、夏は暖かいから暑くて湿度が高いことが多く、冬は寒くて時には厳しい寒さになる。ケッペンの気候区分に拠れば、湿潤大陸性気候、略号ではDfbにあたる。
以下は2010年の国勢調査による人口統計データである。
以下は2000年の国勢調査による人口統計データである。
ファーミントンはフランクリン郡の中で人口最大の町であり、郡庁所在地である。その結果、地域の管理用建物が多く、裁判所や保健社会福祉省の支所がある。政府は町政委員会の形式を採り、町役場で隔週の火曜日午後6時半から会合を行っている。日々の町政管理は町マネジャーが行い、毎年3月にはタウンミーティングを開催している。
ファーミントンには多くの歴史的資産や地区がある。例えば、カトラー記念図書館、ファーミントン歴史地区、第一会衆派教会ユナイテッド・チャーチ・オブ・クライスト、フランクリン郡庁舎、フリーウィル・バプテスト集会所、グリーンエーカー、チェスター・グリーンウッド邸、メリル・ホール、ノルディカ・ホームステッド、旧ユニオン集会所、ハイラム・ラムスデル邸、タフト邸がある。
ファーミントンはクエーカー教徒のルシア・キューニング(元はライザ・ビーバーマン)による、町に来る新秩序について予言の対象となっている。最初の予言は2006年6月6日火曜日についての予言だったが、その日に80人以上が集まった中で何も不思議なことが起こらなかった後、現在は「来る数年のうち」とされている。
その予言に拠れば、ファーミントンの町域に起こる来るべき新秩序は次のようになっている。
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