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松平頼如


松平頼如


松平 頼如(まつだいら よりゆき)は、江戸時代中期の大名。常陸国府中藩2代藩主。官位は従四位下・侍従、能登守。水戸藩初代藩主・徳川頼房の孫で、徳川光圀の甥にあたる。

略歴

初代藩主・松平頼隆の三男。母は妻(高橋氏)。幼名は七丸。正室は熊本藩主・細川綱利の娘とされていたが、婚礼前に頼如が死去した。任官叙位前は通称に外記または左兵衛を称する。

兄の頼方と頼寧が早世したため、元禄4年(1691年)閏8月に世子として指名された。宝永2年(1705年)9月28日、父の隠居により家督を継ぐ。しかし宝永4年(1707年)12月7日、父の後を追うように35歳で死去した。嗣子がなく、松平頼福(父の同母弟松平頼泰の子)の長男頼明が跡を継いだ。

経歴

※日付=旧暦

  • 1691年(元禄4年)8月、藩主松平頼隆の世継ぎとなる。12月26日、能登守に叙任。
  • 1705年(宝永2年)9月28日、家督相続。常陸府中藩(茨城県石岡市)藩主を継承。12月19日、侍従兼任。
  • 1707年(宝永4年)12月7日、卒去。法名は一圓院道脩日感。墓所は茨城県常陸太田市瑞竜町の瑞龍山。

系譜

  • 婚約者:津満 - 細川綱利の娘
  • 養子
    • 男子:松平頼明 - 松平頼福長男



Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 松平頼如 by Wikipedia (Historical)


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