アウグスト・ペドロ・デ・ソウザ(Augusto Pedro de Sousa, 1968年11月5日 - )は、ブラジル・ブラジリア連邦直轄区ブラジリア出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。
11人兄弟の家に生まれ、 17歳でSEガマに入団した。ブラジルでは計7チームを渡り歩いた。5年間在籍したゴイアスECでは、これまでのプレーしてきた中盤からサイドの選手へとコンバートされた。また、日本でもプレーしたバウタザールともプレーし、後の日本移籍へと繋がった。コリンチャンス時代にはブラジル全国選手権、FIFAクラブ世界選手権の優勝を経験した。
そして2001年にはジーコから直接勧誘され、負傷欠場した相馬直樹らの穴を埋める形でセカンドステージより鹿島アントラーズに加入した。デビュー戦となったコンサドーレ札幌戦でいきなり得点を挙げるなど、豊富な運動量を武器とした攻め上がり、フリーキックやヘディングなど超攻撃的な左サイドバックとして活躍、この年のセカンドステージでは、13試合5得点の活躍でステージ優勝に貢献、この年アントラーズを2001年Jリーグ年間王者に導いた。
2003年からは川崎フロンターレに移籍し、3シーズンプレーした。2003年は41試合で17得点を決めた。翌2004年はJ2優勝、J1昇格に大きく貢献した。また試合においての戦う姿勢など、中村憲剛にも大きな影響を与えたという。
2005年、家族たっての希望により川崎フロンターレを退団してブラジルに帰国することとなった。2006年は故郷のクラブ、ブラジリエンセFCでプレー。
引退後はブラジリアFCの監督を皮切りに、ゴイアスECなど様々なチームを率いている。
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