関東大学ラグビーリーグ戦グループ(かんとうだいがくラグビーリーグせんグループ)は、関東ラグビーフットボール協会に加盟する大学ラグビー部(大学生チームによるラグビーユニオン競技を行う運動部)のうちで、関東大学ラグビーフットボール連盟に所属してリーグ戦を行うチームの集まりのことである。
関東の大学ラグビーは、他の地域で一般的に行なわれる総当たり戦とは異なり、対抗戦思想と呼ばれる、相互間で認め合った相手(毎年、シーズン前のマネージャー会議にて決定)と試合を組んで行う、という理念をもとにした試合形式で行なわれていた。しかしチーム数が増えるにしたがって、総当たり戦の二部制形式を導入するに至ったが、導入してしばらく、一部の有力校や人気校が2部リーグに降格する事態がおきた。そのため協会内の有力校が中心になり再び運営方法を改革することになり、二部制を廃止し、試合形式を再び以前の対抗戦方式(義務4試合+選択3試合以上の変則対抗戦)に戻すに至った。
しかし1シーズンでまた改編され、変則対抗戦方式のままで、対等な並立2ブロック制(両ブロックの1位同士で優勝を決定)を導入。しかしブロック制2シーズン目に備えた両ブロックの編成替えを巡って大学間に感情的な対立を生むに至り、結局以前の通常の対抗戦方式に戻ることになった。
それまでも伝統校を中心とした勢力と、それらの有力校以外の当時新興校と呼ばれた大学の間で多くの意見主張が合わず、何度かの制度改革が行なわれてきた。対抗戦方式復活後も、伝統校・有力校側の事情で日程やカードが決まる風潮に新興校が不満を募らせ、また対抗戦方式ゆえに全国大学ラグビー選手権大会出場校を選択する上での基準が不明瞭であったため、衝突が激化していった。
1967年には日本大学・中央大学・法政大学・専修大学が中心になって対抗戦方式を主張する学校群と決別し、総当り戦を主張する学校群のみでの総当たり戦を実施するに至った。その翌年の1968年には正式に関東大学ラグビーフットボール連盟が発足。総当たり戦グループは関東ラグビーフットボール協会内で関東大学ラグビーリーグ戦グループと呼ばれるようになった。 対してもう一方のグループを関東大学ラグビー対抗戦グループと呼ぶ。なお関東大学ラグビーフットボール連盟の組織自体は関東ラグビーフットボール協会の承認団体・傘下団体ではなく、リーグ戦グループとしてのローカルな組織になる。したがってリーグ戦グループ所属校は、形の上では関東大学ラグビーフットボール連盟と関東ラグビーフットボール協会の双方に二重に登録することになる。これは過去の対抗戦とリーグ戦の分裂経緯に因るものである。
グループ分裂後、全国大学ラグビーフットボール選手権大会への関東からの出場校4枠分を決定する都合で、両グループの上位4代表が襷がけで対戦し、勝利したチームを関東代表とする関東大学ラグビー交流戦(交流試合)が導入された。
リーグ戦開始当初は、強豪校との対戦が減ったためにリーグ全体のレベル低下を招き、リーグ戦グループにとっては苦難の時代となった。法政大学が際立って伝統校に対して気を吐いていたがまもなく低迷し、その他の対抗戦に対するライバル意識を燃やしていたリーグ戦グループ中心校も、交流試合突破が困難であり、やっと出場した全国大学選手権でも良好な結果を出せなかった。対抗戦と比較しての注目度・人気といった点でも同様の悪影響を引き起こしていった。
その後、交流戦時代の後期に始まった大東文化大学の台頭、法政大学の復活によって低迷していたリーグ戦グループが対抗戦グループと比肩しうるレベルとなり、関東協会傘下チーム全体のレベルが向上した。これは全国でのラグビー人気と相まった大学選手権の出場枠数改革(8校から16校への増加)の遠因にもなった。
ただし2006年の関東学院大学を最後にリーグ戦グループは全国大学ラグビーフットボール選手権大会の優勝から遠ざかっており、関東学院大学に代わって台頭した東海大学が3度決勝に進出したものの選手権優勝は果たせず、苦戦している。
①勝ち点の多い順に順位決定を行う。
②全試合終了時点で勝ち点が同じ場合、次の各号の順序により順位を決定する。
※データは2022年度所属。
※2023年度シーズン終了時の1部優勝回数
※ボールド体は選手権出場。1966年以前の関東一リーグ時代の順位は資料不足により不明。
※斜体文字は全試合棄権、もしくは不戦勝不戦敗校。複数校ある場合は前年度の順位順、または不戦勝不戦敗で決定。
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