ロード・ウォリアー・アニマル(Road Warrior Animal、本名:Joseph Michael Laurinaitis、1960年9月12日 - 2020年9月22日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ペンシルベニア州フィラデルフィア出身。
ギミックの上ではイリノイ州シカゴ出身を自称し、ロード・ウォリアー・ホークとのタッグチーム、ロード・ウォリアーズのメンバーとして活躍した。日本ではアニマル・ウォリアー(Animal Warrior)と呼ばれ、ジョニー・エースことジョン・ロウリネイティス、ザ・ターミネーターことマーク・ロウリネイティスの実兄としても知られる。息子は元NFL選手のジェームズ・ロウリネイティスである。
トレーナーのエディ・シャーキーにジョージア・チャンピオンシップ・レスリングのブッカーだったオレイ・アンダーソンを紹介され、アンダーソンの斡旋により1982年11月にNWAジョージア地区にてデビュー。ザ・ロード・ウォリアーをリングネームに、バイカー・ギミックのヒールとしてノースカロライナのジム・クロケット・プロモーションズにも出場したが芽が出ず、ホームタウンのミネソタに帰郷後の1983年6月、幼馴染のマイク・ヘグストランドと共に再びジョージアに登場。ヘグストランドはロード・ウォリアー・ホーク、自身はロード・ウォリアー・アニマルを名乗り、兄弟子でもあるポール・エラリングをマネージャーに迎えたタッグチーム、ロード・ウォリアーズ(リージョン・オブ・ドゥーム)として再デビューを果たす。以降、日米の各団体を転戦し、各地で爆発的な人気を獲得した。
2002年、全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦に武藤敬司とのコンビで出場。優勝は逸したものの、ビッグネームとしての貫禄を見せた。
2005年、WWEと再契約してスマックダウンに所属。ハイデンライクと新生リージョン・オブ・ドゥームを結成し、同年7月28日にWWEタッグ王座を奪取した。2006年1月17日にハイデンライクが解雇された後はシングルプレイヤーとなり、ヒールのポジションでマット・ハーディーなどと抗争するが、同年6月26日に自身もWWEを離脱、以降はフリーとなった。
2007年、久々の来日が実現し、9月1日の健介office自主興行に出場。かつてホークとチームを組んでいたパワー・ウォリアーこと佐々木健介と「ヘル・ウォリアーズ」を結成し、ドゥームズデイ・デバイス(ダブル・インパクト)で勝利。
2011年、ホークとのロード・ウォリアーズとして、初代マネージャーのポール・エラリングと共にWWE殿堂に迎えられた。2012年7月20日放送のスマックダウンでは久々にリングに上がり、レジェンド達と連戦していたヒース・スレイターに勝利。翌週のRAW1000回記念放送にも、ボブ・バックランド、ロディ・パイパー、サージェント・スローター、シッド・ビシャス、ベイダーらレジェンド達と共に登場した。
2020年9月22日、結婚記念日のお祝いの直後に突然の心臓発作で死亡したことが確認された。60歳没。
Owlapps.net - since 2012 - Les chouettes applications du hibou