栗原 小巻(くりはら こまき、1945年3月14日 - )は、日本の女優。本名同じ。父は劇作家の栗原一登。弟は演出家の加来英治
東京都出身。エイコーン所属。
1963年、東京バレエ学校卒業。
俳優座養成所(第15期)在籍中に抜擢され、『虹の設計』等に出演。2013年に退団するまで看板女優として約半世紀在任した。
1967年、『三姉妹』(お雪役)で脚光を浴び、同年、日本映画製作者協会新人賞を受賞。
1968年、『三人家族』『みつめいたり』『風林火山』で日本放送作家協会賞、第一回テレビ大賞優秀タレント賞に選ばれる。
1972年、『忍ぶ川』の演技で毎日映画コンクール主演女優賞、ゴールデンアロー賞映画賞、エールフランス女優賞を受賞。
ダークダックスと共にロシア・ソ連の歌を紹介するテレビ番組に出演したことがあり、ソロでLPレコードを発売したこともある。 舞台で鍛えられた口跡明快な演技と現代的美貌から熱狂的な男性ファンが多く、吉永小百合ファンが「サユリスト」と呼ばれたのに対し、栗原小巻ファンは「コマキスト」と呼ばれた(奇しくも吉永とは生年月日が1日違い)。アイドル的存在として人気を二分したが、中年以降、吉永が映画を主軸に据えているのに対し、栗原は舞台を主軸としている。
ももちパレスの名誉館長を務めている。
仕事の軸である舞台は、1968年に日生劇場『三人姉妹』イリーナ役で初舞台。1971年『そよそよ族の叛乱』で紀伊國屋演劇賞を受賞。『ルル』をはじめ、千田是也演出作品に多く主演。また1981年には木村光一演出『ロミオとジュリエット』ジュリエット役で芸術祭優秀賞。1991年には千田是也演出『復活』カチューシャ役で芸術祭賞を受賞。1986年2月、俳優座劇場でロシアの演出家セルゲイ・ユールスキーを招き『恋愛論』を初プロデュース、主演する。その後、同作品をモスクワで上演、高い評価を得る。2000年、ロシアのアレクサンドル・マーリン演出、千田是也追悼『肝っ玉おっ母とその子どもたち』にアンナ役で主演。加来英治演出『愛の賛歌―PIAF』『プレンティ』他に主演。『欲望という名の電車』では1995年から2000年まで主演、新劇運動として281回の公演を重ねた(2010年に再演)。また、ミュージカルでは東宝『マイ・フェア・レディ』にイライザ役で主演。
国際的活動としては、『NINAGAWAマクベス』レディ・マクベス役で、1985年、英国エジンバラ芸術祭に参加(同作品はアムステルダム、ロンドン、ニューヨーク、オタワ、シンガポールで上演)。ロシア(旧ソ連)との繋がりも深く、1981年には日本で初めてソ連の演出家・アナトーリイ・エーフロスを招いて行った舞台公演『櫻の園』に主演した。日ソ合作映画にも主演(『モスクワわが愛』(1974年)、『白夜の調べ』(1978年)、『未来への伝言』(1990年))。『未来への伝言』では企画も担当した。読書アンケートでも、愛読書の一つにレフ・トルストイ『戦争と平和』を挙げている。イギリスの作曲家、ベンジャミン・ブリテンの作曲の『青少年のための管弦楽入門』の年少者向けクラシック音楽の解説も行う。(楽器の紹介をしながら作品のナレーションを行う日本語版作品)中国との関係では、改革開放期の1978年に『サンダカン八番娼館』、1979年に『愛と死』が中国で上映されたことが契機となり、以降中国でも人気を博する。『セツアンの善人』を、北京、上海、広州、香港で上演。1991年の中国映画『乳泉村の子』(謝晋監督、中国題名『清涼寺鐘聲』)にも主演し、日本中国文化交流協会副会長も務めるなど中国との繋がりも深い。2015年6月1日には、CCTVの大型児童番組『2015年六一晩会』に出演し、日中双方の児童と共に「故郷」と「茉莉花」を歌った。
クラシック・バレエを特技としており、映画の中でもその姿が見られる。
近年は舞台の衣装デザインも手がけている。
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