米田 虎雄(こめだ とらお、1839年3月10日(天保10年1月25日) - 1915年(大正4年)11月27日)は、幕末の熊本藩家老、明治から大正期の日本の宮内官僚。侍従長、宮中顧問官、陸軍中佐、子爵。諱・是保、通称・虎之助。明治天皇の側近。
肥後国熊本城下町内坪井で熊本藩家老・長岡是容(監物)の二男として生まれる。慶応2年9月(1866年)兄是豪を継いで熊本藩家老に就任。戊辰戦争においては藩兵を率いて東北各地に転戦した。明治2年8月(1869年)熊本藩大参事に就任。その後、権大参事として実学党による藩政改革を行った。
1873年(明治6年)1月9日、宮内省に転じ侍従番長に就任。1877年(明治10年)8月29日、三等侍補となり、天皇親政運動に加わった。同年9月3日、陸軍中佐兼三等侍補、1878年(明治11年)12月24日、陸軍中佐兼侍従長に就任。1988年(明治21年)4月20日、兼主猟官となる。1892年(明治25年)10月15日、父監物の維新の功により男爵を叙爵。1904年(明治37年)2月16日、侍従兼主猟官に加えて宮中顧問官を兼任。1908年(明治41年)、主猟頭となり、同年11月7日、宮中顧問官を依願免官となる。1914年(大正3年)5月13日、多年の輔弼の功により子爵に陞爵し、兼任侍従職幹事を依願免官、主猟頭の専任となる。墓所は東海寺の大山墓地。
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