緒方 恵美(おがた めぐみ、1965年〈昭和40年〉6月6日 - )は、日本の声優、女優、歌手。作詞などのクレジットには主に「em:óu」(エムオゥ)という名義を使用している。東京都千代田区出身。Breathe Arts代表。
所属事務所は青二プロダクション→日音アーティスト→スペースクラフトプロデュース→ホーリーピーク→フリー→JTBエンタテインメント→フリー(ネヴァーランド・アーツと業務提携)→Breathe Arts〈2019年2月より〉
両親・祖母・2人の弟の6人家族として育ち、生家は秋葉原(千代田区外神田中央通り沿い)にあった(詳しくは後述)。音楽が得意な両親の影響を受けて3歳の頃からピアノを始め、バレエや日舞も習っていた。
千代田区立芳林小学校(現・昌平小学校)を経て、桐朋女子中学校に進学、同高等学校卒業。中学時代に腰のケガが原因で、高校時代からは「何か別のことをやろう」と思ったという。学生時代に洋楽を愛するようになり、耳コピーから作詞作曲、弾き語りのアルバイトなどアマチュア音楽活動を続ける。その傍ら、密かに役者業に憧れを抱いていたことから、高校時代から本格的に役者の道を志す(詳しくは後述)。
その後東海大学海洋学部に進学するも1年で中退し、東京声専音楽学校(後の昭和音楽芸術学院)のミュージカル科に入り直す。同校卒業後、劇団「ネヴァーランド・ミュージカル・コミュニティ」に所属し、ミュージカル女優として劇団公演の傍ら、商業ミュージカル等に出演。中学時代に痛めていた腰の再発で、「ついに踊るのはもう無理だ」という事態になった。劇団解散後、当時のプロデューサーに「君は少年役で舞台に立ったときに、とても華がある。声優をしてみるのはどうか」と声をかけられ、それを機に声の世界へ。
24歳で声優養成所の青二塾に入塾すると才能を評価されて、その後青二プロダクションへの所属が決まる。笠原留美・新山志保・石川英郎・阪口大助・山田真一は、青二の同期である。この間に最初の結婚・離婚を経験。
1992年、『幽☆遊☆白書』蔵馬役で声優デビューし、1995年には『新世紀エヴァンゲリオン』の主人公・碇シンジ役に抜擢。同時期に起きた第3次声優ブームを追い風にラジオ番組や声優雑誌などへのメディア露出が相次ぎ、一躍人気声優の仲間入りを果たす。1994年には、第17回アニメグランプリ「声優部門賞」を受賞。この回は男性キャラ部門・蔵馬、女性キャラ部門・天王はるかを始め、全部門が緒方の関係作品関連で埋まった。
インターネットラジオ番組に早期から着目し、最初のラジオ「秘密のハ・ナ・ゾ・ノ」から「漢組」シリーズは2001年から8年もの長期にわたり継続した。
2004年4月1日に13歳年下で一級建築士の男性と再婚し、その後二人で購入したマンションで現在(2022年)も暮らしている。
2009年に演劇集団キャラメルボックスの女優坂口理恵と女優兼劇作家の真柴あずきとの3人で、演劇ユニットARMs(あーむす)を結成。
2013年に、第7回声優アワード「高橋和枝賞」を受賞。
2017年2月22日、会員向けに先行してバースデーライブ開催の案内を発表。4月8日より、声優デビュー25周年企画を発表。第1弾「ライブ」、第2弾「クラウドファンディングによる国内と海外での同時にCD販売」、第3弾、第4弾と予定での企画を公開。専用サイトを公開。
2019年2月1日に新たに声優事務所Breathe Artsを設立し代表に就任、同時に完全無料の私塾「Team BareboAt」も開設。
2021年12月、緒方恵美主催によるフェスイベント『Precious Anime & Game Songs Festival』2022年3月の開催に伴い、クラウドファンディングを実施。同年12月31日、『第72回NHK紅白歌合戦』の「カラフル特別企画 〜明日への勇気をくれる歌〜」の中で、『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジとして白組司会の大泉洋の名前や「逃げちゃダメだ」など、紅白特別仕様の台詞を入れる演出がなされた。
2022年に声優デビュー30周年を迎えた。同年3月5日、第16回声優アワードにて「主演女優賞」を受賞。
父親は東宝に在籍し、宝塚の指揮者やトロンボーン演奏、越路吹雪がいた頃のミュージカル音楽監督などを務め、母親は声楽といった音楽一家で育つ。家にはいつも音楽が流れていて、フルートやヴァイオリン、チェロといった楽器も数十種類あった。
秋葉原にあった生家は、細い5階建てのビルとその裏の2階建ての一軒家を連絡通路で繋いで暮らしていた。緒方家は100年続く家業として、日本酒の酒度を測る計器を扱う会社を経営しており、ビル内は会社用スペースと居住スペースが混在していた。その後父が心臓を患い楽器が吹けなくなったため家業を継ぐと同時に、妻と共にビルの1階で喫茶店を経営した。
小学6年生の頃に学芸会の演劇で初めて舞台に立つと周りから演技を褒められ、演じることの楽しさを知った。また、その後映画館で『宇宙戦艦ヤマト』と『銀河鉄道999』を鑑賞し、購入したパンフレットを熟読したことで声優という職業の存在を知る。
中学ではハンドボール部に入部し、試合のない土日は両親の喫茶店でアルバイトを始めた。高校進学後、芸能事務所の養成所の入所試験に応募したところ合格し、2ヶ月ほどでドラマや舞台の仕事の話を貰えるようになった。しかし、通っていた高校の規則で在学中の芸能活動は禁止だったことが判明し、芸能活動を断念し程なく退所。この挫折経験が元で本格的に役者の道を志し、高校で友人たちと演劇サークルを立ち上げ、芝居の面白さに嵌っていった。
「高校卒業したらプロの役者になろう」と考えたが父の反対に遭い、大学に通いながら演劇活動をすることを決める。得意科目だけで受験できる大学を探した結果、東海大学海洋学部が当てはまったため、受験し合格。しかし入学間際になり同学部のキャンパスが静岡県沼津市にあると知り、急遽現地の学生寮を契約し入学後から暮らし始めた。
しかし大学生活を送る中で「やっぱり東京で芝居がしたい。ここにいてはダメだ」との思いに駆られ、親に無断で大学を中退。実家に戻るも父親に叱咤され家を追い出されたため、アルバイトで貯めていた資金で世田谷区南烏山(千歳烏山駅辺り)のアパートに下宿し、困窮生活を送った。
その後窮状を見かねた祖母が間に入ったことで、両親から「オペラを学ぶのならいい」との許可を得て、東京声専音楽学校(後の昭和音楽芸術学院)に通うことが決まった。しかしここでも緒方は親に内密で、オペラではなく新設されたミュージカル科に願書を提出。入学後は南烏山のアパートを引っ越した後、アルバイトを掛け持ちしながらミュージカル女優を目指した。
声優デビュー直後はレギュラー番組が1、2本だったため、空き日を演技や発声などのトレーニングに活用できた。しかし約半年後、声優専門雑誌が次々と創刊され、第3次声優ブームが起きたことで緒方を取り巻く状況が一変する。この頃を境に月10本以上のレギュラーの仕事を抱えるようになった。
青二塾に通い始めた頃、心臓を患う父の容態が悪化し、当時の恋人にそのことを話したところ、「お父さんのためにも近い内に結婚しよう」とプロポーズを受け、急遽結婚が決まった。緒方の花嫁姿を見た父は、「唯一の親孝行をしてくれた」と喜び、後日他界した。
その後、主婦業の傍ら青二塾へ通ったが、卒業後はオーディションや仕事上の予定が増えたことで家庭に割く時間が削られるようになった。やがて『幽☆遊☆白書』のオーディションで初めて役を得るも、そのことで今後の声優活動がより多忙になると分かり、夫と話し合い半年後に離婚した。
離婚後は、実家にほど近い文京区根津のアパートで一人暮らしを始めた。1998年に事務所を退所してフリーになり、豊島区の椎名町駅付近に2DKのマンションと個人事務所を借り再出発するも心労が重なり、2000年に休業。
しかし程なくして実家が多額の借金を抱えていることを知り実家を支援するため、自身のマンションと個人事務所を解約し、休業を切り上げて声優活動を再開せざるを得なくなった。実家の借金やビル等の問題は、(2022年の)数年前に片が付いたとのこと。
1995年秋頃、庵野秀明から直々に指名を受けて『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジ役に選ばれる。シンジ役では14歳の少年が抱える内面の揺らぎを繊細に演じ、緒方にとって名実ともに代表作となった。
『新世紀エヴァンゲリオン』については「完結後月日が経っても、まだ冷静に観られない」と語っている。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』では、(第6の使徒による加粒子ビームにより)高温のL.C.L.で煮られ台本5ページ分にわたって絶叫するシーンを収録した翌日、喉に違和感を覚えて検査したところ、声帯を痛めたのではなく実際に気管が高温になり軽い火傷をした状態になっていた、というエピソードがある。
2021年公開の完結作『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を踏まえて、その後の心境として以下のように語っている。「連続アニメの放送から25年以上に渡り碇シンジという少年を演じたが、私の声優人生においてもやはり『エヴァ』の存在は大きかった。長年シンジ役を演じる上で、自分の中には“14歳の魂を失ってはいけない”という呪縛のような強い責務があった。でもシリーズが完結したことで“14歳の魂”は私の中でどうやら血肉化してしまい、もはや失われるようなものではなくなったようです。振り返って見れば、『エヴァ』の碇シンジを演じるために声優になったといっても過言ではない。碇シンジを演じたからこそ、ここまで声優を続けて来られたのだと思います」。
『幽☆遊☆白書』では、蔵馬役に選んでくれたスタッフから「高校生の男子役を女性声優が演じるのは、初めてじゃないか」と言われた。放映前、女性声優が同役を演じることを知った原作ファンから「どうして蔵馬役が女性なんだ?」との否定的な投書もあった。しかし、放送開始後の同作キャストによる初イベントの頃には、緒方が登壇した途端とんでもない量の黄色い声が上がるようになっていた。
『魔法騎士レイアース』の第1章でエメロード姫を演じたことについては、オファーを貰うまでは男役が続いていたため、どうしたらいいのか悩んで必死に演技していたとのことである。「最初にオファーを受けた時、マネージャーが『うちの緒方に姫の役を?』と電話で聞き返し、事務所内がざわついた」「第1話の試写会でエンドロールに緒方の名前が出た瞬間、会場から驚きの声が上がった」などのエピソードを後に本人が明かしている。また、エメロード姫の「助けて……」というセリフに対して、海役の吉田小南美やフェリオ役の山崎たくみから「お前を助けられるヤツはいない!」などと、愛のあるイジりを入れられたこともあった。
緒方にとって演技の基本は、「普段の私についている“仮面”や“鎧”を捨てていくというもの。感情を演じるためには、それまでの年齢や経験で身についた仮面や鎧を自在に捨てられるかどうかが大切」と語っている。
幕末の医師・蘭学者であった緒方洪庵の分家の子孫にあたる。過去には祖先に倣い医師を目指すよう家族に勧められていたという。
連続ドラマは欠かさず視聴している程のテレビドラマフリークとしても知られており、視聴する番組数は1クール(3か月)辺り10作品以上にも上るという。
2013年6月13日ブログ更新にて、「わんおふ -one off-」作品をきっかけに『大型自動二輪免許、取得致しました!!』とブログに記載する。その後に、バイクで竹原(広島県)まで行って来たよと紹介する。
前述の通り、早くからアマチュアとして音楽活動を行っており、弾き語りのバイトでは自作の曲も披露していた。実家がクラシック一家で、歌といえばオペラ歌手と考えていたことから、「音楽でプロになろうとは思わなかった」が、声優として売れたことから、本格的にプロとしての活動を開始。
当初は声優として、声優ファンを意識し、アニメ作品のキャラクターソングの延長上として歌っており、作曲よりも歌に専念すべきと考えていた。
しかし、2000年のランティス移籍後、社長の井上俊次の勧めで、作詞・作曲も自ら手がけるシンガーソングライターとしての本格的な音楽活動に移行する。
移籍後、しばらくはまだポップス寄りの曲を作っていたが、井上のバックアップが転機となり、次第にロック志向、バンド志向の強い活動を行うようになる。
2000年代にはバンに乗ってバンドで回るような活動も行っていたが、のちに「もっと自由にやっていいんだ」と考えるようになった。2012年1月25日リリースの『Rebuild』は、「デビューアルバムのような気持ちだった」と述べている。
現在では、一部の作曲とほぼ全ての作詞を手掛け、国内外で精力的なライブを行っている。
2016年10月27日、「脱法ロック」でニコニコ動画デビュー。即日28万再生を超え、カテゴリ別デイリー1位、同時にニコニコ動画総合デイリー1位に。
2017年1月25日リリースのオリジナルアルバム『real/dummy』では、人間が装着するタイプのダミーヘッドマイクである、リアルダミーヘッドマイクの開発に携わっている佐藤純之介の協力のもと、緒方自身がリアルダミーヘッドマイクを装着して一発録りを行う(日本では初)など、実験的な曲作りを行っている。
太字はメインキャラクター。
※はインターネット配信。
※はインターネット配信。
Owlapps.net - since 2012 - Les chouettes applications du hibou