1965年の読売ジャイアンツでは、1965年の読売ジャイアンツの動向をまとめる。
この年の読売ジャイアンツは、川上哲治監督の5年目のシーズンであり、V9の1年目のシーズンである。
球団創設30周年の1964年を優勝で飾れなかったチームはオフに金田正一や関根潤三など他球団の主力や、土井正三・末次利光などのちのV9戦士が加入してシーズンが開幕。また川上監督も背番号を77に変更するなど、心機一転をはかった(「サンセット77」由来説もある)。2年ぶりのリーグ制覇が期待されたが、国鉄から移籍の金田が左ひじ痛で離脱し、近鉄から移籍の関根は年齢もあってスタメンから外れ、代打での起用が中心となるなどベテラン組が苦戦。この年から柴田勲が1番を打ち、それまで二塁のレギュラーだった須藤豊に代わって5月から土井がスタメンに入るとチームは首位に立ち、阪神・中日・大洋といったライバルを突き放し、10月14日に中日が負けたため2年ぶりのリーグ優勝を果たし祝勝会場で川上監督が胴上げされた。打線の活躍に隠れがちの投手陣は金田がケガの影響もあって20勝が途切れたが、城之内邦雄や中村稔などが金田をカバーし、リリーフ転向の宮田征典も抑えながら20勝をあげる活躍でチーム防御率2.54はリーグ2位。打撃陣でも柴田やルーキー土井、長嶋茂雄や王貞治が活躍して他球団を圧倒し、チーム本塁打106本はリーグ2位、チーム打率も.246とリーグ2位に滑り込んだ。日本シリーズは4勝1敗で南海を破って、2年ぶりに日本一奪回も果たした。シーズン終了後、初の優勝を経験した関根がこの年限りで引退し16年間の現役生活に終止符を打った。
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