1963年の読売ジャイアンツでは、1963年の読売ジャイアンツの動向をまとめる。
この年の読売ジャイアンツは、川上哲治監督の3年目のシーズンである。
一昨年の甲子園優勝投手・柴田勲がこの年から打者に転向するなど、戦力の若返りが始まったチームは前年Bクラスの雪辱を果たすべく開幕ダッシュに成功。5月までは前年3位の中日が3.5ゲーム差で食らいついたが、6月以降は中日を引き離して首位を独走。終盤は中日の追い上げもあったが最後は2年ぶりにリーグ優勝。日本シリーズでは5年ぶりに西鉄との対戦となり前回の対決同様第7戦までもつれ込んだが、池沢義行や広岡達朗、長嶋茂雄など打線が西鉄のエース稲尾和久を打ちこんでKOすると、稲尾に代わった西鉄の投手陣も打ちこんで18対4と大勝し敵地の平和台球場で川上監督が胴上げされチームは水原茂監督時代の宿願だった打倒西鉄をようやく果たした。投手陣では2年目の城之内邦雄や伊藤芳明が1年ローテーションを守って52完投を記録し、チーム防御率2.57もリーグ1位を記録。打撃陣でも切り込み隊長の柴田が赤い手袋でグラウンドを走り回り、一本足打法をモノにした王貞治が2年連続の本塁打王を獲得。長嶋は首位打者と打点王をそれぞれ獲得し、本塁打・得点・盗塁数はリーグ1位。なお、川上監督時代の日本シリーズで第7戦までもつれ込んだのはこの年だけである。
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