『トットてれび』は、NHK総合テレビの「土曜ドラマ」枠で2016年4月30日から6月18日まで毎週土曜20時15分 - 20時43分に放送された日本のテレビドラマ。全7話。
「トットちゃん」こと女優・タレントの黒柳徹子著の自伝エッセイ『トットひとり』『トットチャンネル』を原作に、テレビとともに歩み続けた黒柳の半生とさまざまな人々との交流を中園ミホの脚本、満島ひかりの主演によりテレビドラマ化。第43回放送文化基金賞番組部門最優秀賞受賞作。
二部構成の前半(第1話 - 第4話)では「青春編」として1953年にNHKの専属テレビ女優第1号となった黒柳が『夢であいましょう』『若い季節』など1960年代の自由で創造的だった草創期のテレビの世界を駆け抜ける様子を描き、ニューヨークでの留学生活や玉ねぎヘアー誕生のエピソードなどを交えた後、後半(第5話 - 第7話)では「友情編」として『徹子の部屋』『ザ・ベストテン』の時代に至るまで森繁久彌、渥美清、向田邦子などとの絆を描く。各話のエンディングでは、当時のヒット曲を現代風にミュージカル仕立てにショーアップして繰り広げる。
平成28年度文化庁芸術祭参加作品として、2016年10月23日から11月6日までNHK BSプレミアムにて再放送された。
2017年6月に第43回放送文化基金賞の【番組部門】テレビドラマ番組において最優秀賞を受賞し、同賞受賞作品として同年8月19日未明(18日深夜)にNHK総合にて全7話が再放送された。
『窓ぎわのトットちゃん』の続々編にあたる『トットひとり』と、続編にあたる『トットチャンネル』を原作として、自身を「筋金入りの黒柳徹子ファン」だと語る中園ミホが脚本を担当する。キャッチコピーの「世の中なんだか、徹子さんが足りない。」をテーマに、誕生から60年あまりの間に幾多の前例や決まり事によって縛られてしまったテレビの世界にあって何者にも縛られず自由であり続けた黒柳のごとく、かつてテレビが創造性に溢れ自由だった時代の物語を、自由かつ大胆に、様々な挑戦に意欲的に取り組みつつドラマ化する。
主演の配役は、ドラマ化の依頼を受けた黒柳が、連続テレビ小説『おひさま』で同一人物を演じて共演した満島を指名した。「できないです!」と2回断った末にスタッフの熱意に心を動かされて出演を決めた満島は、黒柳と2人で食事をし、演技に関するアドバイスも受けて撮影に臨んだ。本作のメインポスターの撮影を担当した篠山紀信は、玉ねぎヘアー姿の満島を目にして「(黒柳と)そっくりだな」とつぶやいたという。
60年前のテレビを再現するにあたり、機材や番組セットなど一部本物を除いて当時の写真・映像資料やNHK放送博物館の収蔵物などをもとにレプリカを作成。操作方法など当時を知るスタッフにインタビューしたり文献を調査したりしながら、スタジオ内の美術セットから撮影スタッフ、照明、音声機器、役者の控え場所に至るまで、ドラマの内容に合わせて再構成しつつも、詳細に再現している。
音楽は連続テレビ小説『あまちゃん』の音楽を手掛けた大友良英、Sachiko M、江藤直子が担当する。『若い季節』など当時生放送だったため映像も劇伴の楽譜も現存していないテレビドラマ作品の音楽については、『若い季節』などの劇伴を手掛けた作曲家の桜井順が現存する当時の脚本をもとに思い出しながら編曲も含めて極力オリジナルに近いものを楽譜に書き起こし、劇中にて再現している。劇中の音楽シーンについては、一般的には撮影・編集後の映像にあわせて後から音楽を録音するか、あたかも歌ったり演奏しているかのように事前に録音した音源にあわせて「当て振り」で演技しながら撮影するが、本作では、第1話の中納良恵(EGO-WRAPPIN')が「買い物ブギ」を歌うシーンを始めとして、ほとんどの音楽シーンにおいて出演者やミュージシャンがその場で生演奏で歌い、演奏したものを生収録している。
本作で2度目となる向田邦子役を演じたミムラは、役作りにおいて衣装・メイク等に加えて向田が書く原稿にまでこだわり、現存する向田の手書き原稿をもとに筆致から間違いの修正法、原稿用紙の使い方に至るまで細かく研究し、原稿を書いている手元の映像や積まれている原稿にまで、撮影で映る原稿のすべてを再現している。
好奇心旺盛で1940年(昭和15年)、7歳にして小学校を退学になったトットちゃんは、20歳になった時に見た人形劇に心奪われて子供に上手に絵本を読んであげられるお母さんになりたいと願い、テレビジョン放送開始を控えるNHKの専属俳優の募集広告を新聞で偶然目にして絵本の上手な読み方を教えてもらえるかもと応募し、その純真無垢な性格により6,000人以上の応募者の中から採用されて「テレビ女優の第一号」なる。
テレビジョン放送が始まったばかりの新人時代、ラジオやテレビのドラマでのエキストラ役も目立ち過ぎてなかなか上手くいかなかったが、オーディションを経て飯沢匡により『ヤン坊ニン坊トン坊』のトン坊役に抜擢されことを転機に、22歳にして「NHKの三人娘」の1人として脚光を浴びる。1958年(昭和33年)末には『第9回NHK紅白歌合戦』の司会に起用され、テレビ受像機の急速な普及に伴って週7本のレギュラー番組を抱えるなど多忙を極めて、リハーサル中に倒れて入院するほど過密スケジュールになるなどテレビジョンに欠かせない存在になっていく。『夢であいましょう』『若い季節』などすべての番組が生放送だったテレビジョンの草創期、渥美清、坂本九らと共演した『若い季節』のスタジオはセットが壊れたり出演者が台詞を忘れたりで大混乱に陥るが、徹子は持ち前の機転と早口で窮地を救う活躍を見せる。
1964年(昭和39年)の東京オリンピック開催を機にカラーテレビが普及し、民放各局も開局してテレビドラマの現場も生放送から収録に変わり、テレビ女優として15年間走り続けて38歳となった徹子は親しくしていた向田邦子の勧めもあって、大人気となった連続テレビ小説『繭子ひとり』への出演を半年で切り上げて仕事を休養する。アメリカ・ニューヨークへ渡った徹子はブロードウェイの演劇スタジオに通い、ニューヨークでの生活を満喫、伊集院ディレクターに請われて『繭子ひとり』にニューヨークから出演する。ニューヨークでの生活で迷いの消えた徹子は今までにない仕事に取り組みたいと気分も新たに、洋服にも和服にも似合うと新たに開発した「タマネギヘア」を土産に帰国する。
1976年(昭和51年)に『徹子の部屋』をスタートさせた徹子は、向田邦子が脚本を執筆するアパートに連日入りびたっては、邦子の作る手料理をともに味わいながらたわいのない会話を交わして時間を過ごしている。やがて邦子は『寺内貫太郎一家』『時間ですよ』『阿修羅のごとく』などで人気脚本家となり、初めて執筆した短編小説で直木賞を受賞して、徹子は祝賀パーティで司会を務める。「徹子さんがおばあさんになったところを書いてみたい」と願う邦子は1981年(昭和56年)8月、旅先の台湾で飛行機事故に遭遇しこの世を去る。
テレビ草創期の共演で渥美清と出会った徹子は、下町・浅草の舞台出身の渥美とは当初反りが合わなかったが、次第に互いに「兄ちゃん」「お嬢さん」と呼びあう親しい間柄となって2人の仲は週刊誌にも書きたてられる。やがて渥美が『男はつらいよ』の寅さん役でスターとなっても2人の関係は変わることなく、毎年正月には2人で映画館に『男はつらいよ』を見に行く。1994年(平成6年)、すでに病魔に蝕まれていた渥美は『男はつらいよ』の撮影現場を初めて訪れた徹子に対し笑顔で振る舞い、程なくしてこの世を去る。
2001年(平成13年)の『徹子の部屋』25周年番組に第1回目のゲストで88歳となった森繁久彌がスペシャルゲストとして出演し、過去を振り返りながら、「1回どう」が口癖で第一印象が「近所のちょっとエッチなおじさん」だったという初めて出会った頃や、森繁が台詞をまったく覚えず「カンペ」に頼りながらも圧巻の演技を披露した共演ドラマ、1978年(昭和53年)に共演したテレビ25周年記念番組でのエピソードなど披露する。歳をとって無気力な森繁の姿に失望した徹子はCMの間に森繁を一喝し、森繁は徹子が好きだった「知床旅情」を切々と歌う。それから2年後、車を待つ徹子の前に偶然通りかかった車中から森繁が声をかけたのが最後の会話となる。
〈〉内の回は、回想シーンのみの登場。
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