岩田 智輝(いわた ともき、1997年4月7日 - )は、大分県宇佐市出身のプロサッカー選手。スコティッシュ・プレミアシップ・セルティックFC所属。ポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー。日本代表。マネジメント会社はジェブエンターテイメント。
2022年のJ1リーグ最優秀選手賞(MVP)受賞者。
兄の影響で3歳の時にサッカーを始め、四日市南SSCを経て大分トリニータU-15宇佐、U-18でプレー。U-18では1年次はセンターバック、2年次はサイドとフォワード、3年次はボランチと、U-15時代も含めGK以外のすべてのポジションでプレーを経験した。2015年にはトップチームに2種登録選手として選手登録された。同年はリーグ戦は出場機会は無かったが、10月14日の天皇杯3回戦・横浜FM戦にて先発出場で公式戦デビューを果たした。
2016年に吉平翼、江頭一輝と共にトップチームへ昇格。大分U-15宇佐出身者としては初のトップチーム昇格者となった。開幕節・長野戦でスタメンに抜擢されると、U-19日本代表選出による離脱はありながらも右サイドバックとして23試合に先発出場。最終節・鳥取戦では2-1のスコアから追加点となるプロ初得点を決め、大分のJ3優勝・J2復帰に貢献した。
J2にプレーカテゴリを上げた2017年は、開幕戦で先発出場を果たしその後も断続的に出場機会を得ていたが、第10節・京都戦で前半終了時点でピッチを退いて以降はリーグ戦での先発は無く、12試合の出場に留まった。
2018年は天皇杯2回戦・山口戦で公式戦2年ぶりの得点をマークしたものの、リーグ前半戦は途中交代による2試合の出場に留まっていた。J2第25節・愛媛戦に3バックの一角として先発出場を果たすと、以後全試合に先発出場。積極的な攻撃参加でJ2最多得点を記録した大分の攻撃陣を支え、J1昇格に貢献した。
J1でのプレーとなった2019年は開幕戦から先発出場を続けると、第7節・仙台戦にて自身J1初、リーグ戦では3シーズン振りのゴールを記録。第12節・清水戦では0-1の状況から同点となるゴールを決めたが、これがチームのJ1通算300ゴールとなった。その後は後述の代表選出や負傷 などで度々離脱したがシーズンを通してスタメン出場を続け、自己最多の4得点をマークした。その後、同年J1を制覇した横浜F・マリノスからオファーを受けるが、東京五輪開催を控えた中 で出場機会の確保を理由として2020年も大分に残留。同年もレギュラーとしてリーグ戦30試合に出場した。
2021年、2年連続でのオファーに応え横浜F・マリノスに完全移籍で加入。シーズン開幕当初はサイドバックとして起用されていたが、同年途中からはボランチやセンターバックとしても出場機会を得て、リーグ戦34試合に出場した。
2022年、前半戦は主にボランチを務めたが終盤10試合はセンターバックとしても起用され、フィールドプレイヤーではチーム最多の出場時間(2715分)を記録。チームの屋台骨としてリーグ最少失点の守備陣を支えリーグ優勝に貢献した。DFとしては2006年の田中マルクス闘莉王(浦和)以来16年ぶり、そしてJ3リーグからプロキャリアを開始した選手としては史上初となる最優秀選手賞を受賞した。
2022年12月30日、スコティッシュ・プレミアシップ所属のセルティックへの期限付き移籍(買い取りオプション付き)が発表された。2023年7月13日、セルティックへ完全移籍。10月22日、リーグ第9節のハーツ戦で移籍後初ゴールを記録。
2013年に初めて年代別代表に選出された。2016年にはAFC U-19選手権(バーレーン大会)に出場。大会制覇を果たしたチームにおいて、グループステージ第1節と準決勝の2試合に先発出場した。
2017年にM-150カップに出場して以降は代表メンバーから遠ざかっていたが、2019年5月、コパ・アメリカ(ブラジル大会)に臨む東京五輪世代中心で構成された日本代表(A代表)に選出された。6月21日、コパ・アメリカ第2戦のウルグアイ戦にスタメンで出場し、代表デビューを果たした。同年8月、U-22日本代表に初選出された。
その後は暫く代表招集は無く東京五輪出場も逃したが、2022年7月19日から開催されたEAFF E-1サッカー選手権2022に出場する日本代表に約3年ぶりに選出。2試合に出場した。
※2015年は2種登録選手として出場
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